お葬式の費用や香典の額、マナーや慣習、礼儀作法、挨拶の仕方など、人には聞けないお葬式の情報集

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お葬式はわからないことだらけ・・・少しでもお葬式のマナーや慣習を知っておきましょう。

最終更新日  2008年 02月 12日

納骨とは?

お墓にお骨を納める時期は、一般的に四九日(満中陰)の法要と併せて行うことが多く、これまでの期間は自宅の中陰壇に安置します。しかし、必ずしも四九日でなければならないわけではなく、地域によっては、火葬後、すぐにお墓に納める場合もあれば、初七日だけで、次は納骨ということもあり、また、初七日から四九日の間に、遺族で決めた日にお墓に納めることもあります。
葬儀のあとの法要や納骨については、よく菩提寺の和尚さんに相談するようにしてください。
お骨を納める場所と時期が決まったら、墓地で納骨(埋葬)法要を行います。まず、菩提寺の都合を聞いて、(霊園などにお墓がある場合は、霊園の管理事務所にも連絡)墓石を開ける手配をしておきます。そして四九日の法要を行い、墓地で納骨式を行います。納骨式はお墓の前で行い、墓石を開けてもらい、施主(遺族の代表者)が骨壺を納骨室に納めます。(地方によっては、骨壺より骨を出して納めます。)それから、墓石を閉めて、花、線香、ろうそくを供え、墓地に故人の供養のために卒塔婆を立てます。僧侶が読経を行い、参列者が順番に焼香をして、納骨式を終えます。
お骨をお墓に納めるには、埋葬許可証がなければなりません。これを忘れると、埋葬(納骨)ができないので、無くさないように管理し、当日は必ず認印と共に持参しましょう。
法要と納骨が終わったら、僧侶にお布施を渡します。また、葬儀後から後飾りの祭壇に安置しておいた白木の位牌は、四九日忌までのものなので納骨や四九日忌を過ぎたら、新たに仏壇に祀る黒い塗りの位牌をつくって、白木の位牌は菩提寺に納めましょう。納骨後は新しい位牌に入魂(開眼式)の読経をあげてもらい、仏壇に祀ります。
四九日の法要は、故人が亡くなったあとにあの世での運命が決まる日とされており、正式な忌明けにあたります。このため、法要の後には参加者全員で供養の意味で会食をすることが多く、これは自宅や菩提寺、霊園の近くの料亭やレストランなどで行えばよいでしょう。
会食の席では、施主はまず納骨を無事に終えたお礼を述べ、忌明けの挨拶も併せて行います。特に形式ばったことはいわなくてもよろしいが、参加してくれた人は皆、故人と深いかかわりのあった人なので、きちんと感謝の気持ちを述べましょう。
現在日本で行われている自然葬は、主に海に遺骨の灰を流すというものです。これもどこにでも流してよいというのではなく、ある程度決められた海域で、多くは船に乗って沖に出、そこで流します。流す遺骨の灰も、遺骨を数ミリの大きさに砕くという決まりがあります。しかし、自然葬については、まだ法律的な決まりがはっきりとしておらず、あくまでも良心的な範囲内で行うことになっています。
また自然葬では、お彼岸やお盆などのときに、お参りするお墓が無いということを認識しておきましょう。これは遺された家族が故人を偲ぶ時に非常に大きな問題となるからです。この点を十分に考慮してから、自然葬を行うかを決めることが望ましいといえましょう。

【 46】引用元  『納骨』
URL: http://www.jodo.or.jp/knowledge/soshiki/index_15.html

葬儀の後にやらなければならないことは、故人の法要。それに合わせて納骨もしますが、時期は特に決まりはありません。納骨は、四十九日や一周忌などの法要に合わせて行います。(地方 によっては葬儀後すぐに納骨する場合も)
仏式では、お墓がある場合は、四十九日や一周忌などの法要に合わせます。またお墓がない場合も一周忌を目安にお墓を用意し納骨するのが一般的。
先祖代々の墓や位牌のある菩提寺の僧侶に相談される事をおすすめしますが、お墓が遠方にあったり、すぐに納骨できるお墓がないなどの理由があれば、お寺や霊園にある納骨堂に一時的に預かってもらうということもできます。だいたい三周忌をめどに正式に納骨を行います。
遺体をお墓に葬る事を「埋葬」と言いますが、現在では、遺体を火葬して遺骨を墓石の下の納骨室に骨壷ごと収めています。したがって遺骨を納骨室におさめたところで、「埋葬」は完了するということになります。
納骨をする時は、納骨式を行います。故人の近親者、ごく親しい友人、知人などごく内輪で行います。 仏式では一般的に忌明けの四十九日に納骨することが多いようです。本堂で法要をして、その後お墓に出向き、お経をあげてもらいます。
お墓の石蓋を開く→施主が骨壷を納める→石蓋を閉じる→卒塔婆(そとうば)を墓石の後ろに建てる→墓前に花や線香を供える→僧侶の読経の後、順番に焼香→冥福を祈る
お墓に銘旗(めいき・故人の姓名や官位を記した旗)を飾り、神饌(神に供える食べ物)、榊(さかき)や花を供える→神官によるお祓(はら)い→祝詞参上→玉串奉奠(たまぐしほうてん)→神官拝礼、参列者一同拍手(かしわで)を打つ
いずれも祈祷の後に遺族・近親者が聖歌(賛美歌)を歌い、献香や献花が行われる。
※事前に石材店、霊園に連絡しておくこと。 (ふだん閉じられている墓石の納骨式の蓋(排石)を開けるため)
参列者全員で故人の供養のために会食をします。場所は自宅や料亭、レストラン、ホテルなど。会食の席では、施主が納骨後の挨拶をしますが、内輪の集まりなので、形式を気にすることはありません。
最近は、墓地を購入する意思のない人が、多くなっているのでしょうか。お墓を作らずに寺院や霊園などの納骨堂に遺骨をおさめるケースも増えてきています。しかし将来お墓を用意しても遺骨は返してもらえないことが多いので、前もってよく検討する必要があります。慎重に。
いかがでしたでしょうか?葬儀の後にやらなければならないことは、故人の法要そして納骨。しかし世間にはお墓や葬儀にお金をかけたくない、お墓の継承をする人がいない方がいます。また一方では、自然への回帰願望である散骨という選択肢もありますね。
室町時代に人の死を供養するという行いが始まり、この頃には、今と同じようにお墓も建てられたそうですよ。でも庶民一般に広まったのは、幕府が檀家制度を敷いた江戸時代。
なぜ人は墓を建てるのでしょうか?お墓の「墓」は「莫」と「土」からなり、土で覆い隠すという意味があります。だから遺骨の「骨」を「土」に還してあげるためなのです。
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【 47】引用元  意外と知らない?納骨のお話 - [冠婚葬祭]All About
URL: http://allabout.co.jp/family/ceremony/closeup/CU20050715A/index.htm

その後、聖人の末娘である覚信尼(かくしんに)さまが諸国の門弟の協力を得て、ご遺骨を吉水の北辺(現在の知恩院山門北側の「崇泰院(そうたいいん)」付近)に改葬し、お堂を建てご影像を安置されました。
このご廟は「大谷影堂」とも呼ばれ、後に「大谷本願寺」となり、第八代蓮如宗主時代の「寛正の法難」(1465年)まで、およそ二百年間、諸国の門弟や同行によって護持されてきました。
以後、第十二代准如宗主時代の1603(慶長八)年、徳川幕府の政策によって五条坂の現在地に移転し、この地を「大谷」と呼ぶようになりました。
以来、永い年月を経た現在も「大谷本廟」は、宗祖親鸞聖人のみ教えを仰ぎ、お念仏のよろこびに生かされる門信徒の方々によって立派に護持されております。
大谷本廟は、納骨・永代経・墓参などをご縁として、おみのりを聴聞する場であります。その由緒を大切にされて、ご縁のある多くのみなさまのご参拝をお待ちいたしております。
祖壇納骨所(明著堂)へ納骨される場合は、所定の納骨申込(別記)に必要事項をご記入の上お申し込みください。なお、一旦納骨されたお骨は出骨することができません。
無量寿堂納骨は、予め遺骨を納める容器が指定されている場合がありますので、無量寿堂納骨所の使用者へご確認ください。保管・管理上、本願寺指定容器の使用をお勧めいたします。
寺院名義の納骨所へ納骨される場合は、納骨申込(別記)に住職の署名・捺印が必要です。
団体名義の納骨所へ納骨される場合は、納骨申込(※)に当該団体代表者(使用名義人)の署名・捺印と火葬許可証、または改葬許可証が必要です。火葬許可証・改葬許可証が無い場合は、役所にて火葬許可証の発行証明の申請をしてください。分骨の場合は納骨申込書に所属寺住職の署名・捺印による証明をもって納骨をお受けいたします。
個人名義の納骨所へ納骨される場合は、納骨申込(※)に使用名義人の署名・捺印及び火葬許可証、または改葬許可証が必要です。また、納骨所使用者等の確認のため、「無量寿堂納骨所使用承認書」を必ずご持参ください。また、火葬許可証・改葬許可証が無い場合は、分骨の場合には、納骨申込書に所属寺住職の署名・捺印がなされていれば納骨をお受けすることができます。
大谷墓地には、焼骨のみ納めることができます。墓地へ納骨される場合は、「墓地使用許可証」を提示の上、所定の届出用紙(※)に必要事項をご記入いただき、火葬許可証、または改葬許可証を添付してご提出ください。
墓地使用者以外の方が納骨申込書を提出される場合、墓地使用者の承諾確認のため「墓地使用許可証」の提示をもとめます。
改葬先(ご遺骨の移転先)で「改葬許可証」(東山保険所交付)が必要な場合は、出骨手続きされるまでにお申しつけください。納骨の事実を証明した「改葬許可申請書」を交付いたします。
なお、土曜・日曜・祝日は「改葬許可証」交付のお手続きができませんのでご注意ください。
寺院名義の納骨所から出骨される場合は、出骨届(※)に住職の署名・捺印が必要です。
団体名義の納骨所から出骨される場合は、出骨届(※)に当該団体代表者(使用名義人)の署名・捺印が必要です。
個人名義の納骨所から出骨される場合は、出骨届(※)に使用名義人の署名・捺印が必要です。
墓地から出骨される場合は、「墓地使用許可証」を受付に提示の上、出骨予定の遺骨が当該墓地に納骨してある事実を証明した「改葬許可申請書」(※)の交付を受けてください。
納骨の事実を証明した「改葬許可申請書」を東山保健所に提出し、「改葬許可証」の交付を受けてください。
所定の出骨届(※)に必要事項を記入の上、保健所にて交付を受けた「改葬許可証」を添付してご提出ください。
永代経とは、亡くなられた方をご縁として財物を進納することによって、永代にわたって寺院で読経がなされることをいいます。
納骨にお越しの方々が故人への篤い想いを「永代経懇志」という形に示すことによって、宗祖親鸞聖人の廟所であります大谷本廟は、永く人々の心のよりどころとなります。
大谷本廟では、所属寺院をもたない門信徒や離郷門信徒の方々に対して、寺院との繋がりを促すとともに、門信徒教化と寺院における教化活動の一助として、永代経・一座経とは別に、予約制にて年回法要の受付を行っております。
所属寺院了承のもと、寺院の署名捺印が必要です。予め電話等にて予約状況を確認の上、所定の申込み用紙(※)に必要事項を記入し、原則として20日前までに大谷本廟宛提出願います。但し、予約は1ケ月前までにお願いします。申込書と引き換えに予約確認書を送付いたしますので、法要当日はこの確認書を必ずご持参ください。
住職、若しくは団体代表者が変わられた場合、「代表者変更」の手続きが必要となりますので、速やかに手続きをお願いします。手続きがなされていない場合には納骨等をお受けできないことがあります。
納骨所の使用者が亡くなられた場合、もしくは使用者を変更する場合は「承継」(名義変更)の手続きが必要となります。名義変更の手続きがなされていなければ納骨などの諸手続きをお受けすることができませんので、速やかに無量寿堂係へお届けください。
無量寿堂内は火気厳禁ですので、蝋燭(ろうそく)・線香等は使用できません。備え付けの電気香炉で香を焚き、お焼香ください。使用後は、お香を残香入れへ移し、香炉を片づけてください。
お花・お供物は大谷本廟内の売店(開明社)にて販売いたしております。なお、ご参拝が終わりましたら、明著堂へお供えいただくか、お持ち帰りください。
大谷墓地には現在約12,500基余のお墓が建立されており、新規交付対象の墓地が約100基あります。ご希望の方は墓地係までお尋ねください。
墓地内の施工(再建立・法名刻字等)の手続きについては、墓地係までお尋ねください。
法要にてご使用いただけます会場は、礼拝堂・無量寿堂六階仏間・本廟会館二階大広間・本廟会館地下一階研修道場です。使用冥加は一時間一万円となっております。
なお、会場使用にてご予約の場合、勤行時における職員の出向はいたしかねますので、必ずご寺院様同伴でお願いいたします。
美しい東山の緑につつまれた大谷本廟のご尊前で結婚式を挙げることは、お二人にとって誠に意義深いことであり、今日の慶びをより大きなものに、また、一生涯心に残る美しい思い出となることでしょう。
大谷本廟では、各種奉告参拝(結婚・出産等)の受付を行っております。詳しくは、お電話等にてお尋ねください。
大谷本廟には、自家用車を収容できる駐車スペースが充分ではありません。また、お彼岸・お盆時期は駐車場は閉鎖となります。(→詳細はこちら)
お彼岸・お盆時期・土日・祝日・大谷本廟における法要行事開催日には、本願寺と大谷本廟間の無料循環バスを運行しております。本願寺には自家用車300台余りの駐車スペースがございますので、こちらにお車を置いていただき、無料循環バスをご利用ください。
バスの運行日については、盆・彼岸・土日・祝日・大谷本廟における法要行事開催日を基本といたしますが、詳細は別掲の「無料循環バス(本願寺―大谷本廟)・運行日程表と時刻表(19年度)」をご覧ください。
A4,B5サイズに調整してあります。印刷にあたりインターネットエクスプローラー等のブラウザ(閲覧ソフト)のページ設定で、印刷用紙をA4(またはB5)、印刷方向を横に設定してください。(B5の場合は印刷方向横で上下の余白を7ミリ以下に設定してください)
下記の申請書類については、所定の用紙が必要となりますので、大谷本廟までお問い合わせください。

【 48】引用元  大谷本廟|参拝ガイド|本願寺ホームページ
URL: http://www.hongwanji.or.jp/guide/honbyou/index.html

人間は火葬になったあと、その遺灰は遺族の手によって一旦骨壷に収められる。そしてこの遺骨を納めた骨壷は、多くの地域では日の忌明けまで中陰壇でまつられ、忌明けとともに墓地の中に納められることになっている。しかし最近では墓地不足から墓地を建てるまでの間、寺院に預けたり、仏壇に安置したりしているケースが多いようである。そして骨壷の最終的な行き先は、墓に納められる場合、納骨堂に納める場合、そして所属する宗派の本山に納める場合、あるいは分骨先でまつるなどさまざまなケースがある。いずれにしても、納骨の歴史は大変古くからある。今回はこの納骨と骨壷について取り上げた。
さてこの遺骨に対する信仰はどこから来ているのであろうか。人間が生きている間は肉と骨が魂の宿る所であったが、死んで火葬になったあとでは遺骨だけが肉体の残りとなる。太平洋戦争で死んだ多くの兵士の遺骨収集が、戦後何十年に渡って続けられたことを思うと、遺族にとっていかに大切なものであるかがわかる。これは仏教の教えというよりも、日本人の肉親の遺骨に対する尊敬の念から来ているのであろう。そしてこの大切な遺骨をどこに安置するかが大切な問題となる。
骨壷は普通、骨箱に納められてしまうので、たとえその壷が芸術的に価値の高いものであっても、それを観賞することは出来ない。しかし自分の墓を事前に購入する人があるように、事前に自分の骨壷を用意する人があるようである。先ごろ作家水上勉氏の製作した陶器の骨壷の展示販売が行われたが、大変大きな反響を呼び、大きな収益をあげたようである。この場合、壷を買った人は、あらかじめ自分の部屋などにその壷を飾り、「私が死んだらこの壷に私の遺骨を入れてくれ」と家族にお願いしているのであろう。自分の死を後の者に任せるのでなく、自分で決めていく姿勢は、残された者に大きな精神的遺産を残すことであろう。
さて沖縄など、最近まで洗骨が行なわれた文化圏では、遺骨に肉が付着している間は死者は成仏しておらず、肉が完全に乾燥して骨だけになったとき、初めてその骨の主の魂は浄化されたと考えられる。そうした状態になったら遺骨はきれいに洗われ、壷に納めて祀り直される。
中陰後に遺骨を墓に納めることと、洗骨は、浄化されたものとして改めて祀り直されるという風に考えるとわかりやすい。もっとも葬儀の前に火葬を行う地域では、葬儀のあとその日に納骨をすませることがあるので、いちがいに断定することはできない。
さて忌明けなどに寺院に納骨する場合には、火葬の際に火葬場に提出した埋葬許可書が必要である。また本山に納骨する場合には、寺院にある申込書に必要事項を記入して申し込むことになっている。高野山が死者の霊の行く浄土であるという信仰が定着し、奥の院に至る両側には多くの石塔がならんでいる。真言宗の信者である遺族は、遺骨をもって山に登り、山上で回向をしてもらい、奥の院の納骨堂に骨を納める風習がある。納骨料は電話で問い合わせたところ5万円(平成6年3月現在)で、故人の氏名、戒名、死亡年月日などを記入する必要があるので、それをメモしたものが必要であるという。受付時間は8時30分から2時30分頃までという。
紀州那智の奥の院である妙法山は、高野山に向かう死者の霊がここに立ち寄って行くという俗信がある。ここにも納骨堂がある。長野の善光寺は死霊の集まるところとして、多くの位牌が納められている。生前ここで「お血脈」を買っておき、死んだときには一緒に納棺する風習がある。これがあると、亡くなったあと死者は閻魔の裁きを免除していただけるそうである。
甲斐の身延山久遠寺は日蓮宗の本山で、信者はここに納骨する習慣がある。木曾の御岳山は登山道の傍らに多くの墓石が建てられているが、納骨は行われていないという。
古くから火葬が行われると、あとに残った骨は遺骨として大事に壷に納められた。その時の入れ物は専用の壷ではなかったが、骨壷を故人の象徴として祭るようになると、特別の壷が作られるようになった。歴史的には釈迦の遺骨を納めた骨壷が異国から伝えられたとき、日本でも遺骨を美しい器に入れておくという考え方が生まれた。
遺骨を美しい容器に入れるという風習は、インドの釈迦の舎利信仰からであろう。仏舎利とは釈尊の火葬した骨をさすが、伝説ではこの遺骨の分配をめぐって8つの国が争った。それほど遺骨は大切なものであった。
釈尊の遺骨は大変に尊いとされ、仏教の教えを信ずる者にとって仏舎利が納められた容器は、釈尊そのもののように見做され、それを大切に祀ったのである。仏舎利の容器はそれが製作された時代や土地の文化水準をよく表しており、瓶、壷、塔など様々な形が生まれた。この仏舎利の容器は紀元前2〜3世紀のものがインドで発掘されているが、蓋の部分が特徴があり、そのつまみの材質は滑石や水晶製である。その後、この仏舎利容器は仏教の伝播とともに中国、朝鮮にもたらされ、それぞれのお国柄を示す独自のものが製作された。
骨壷は飛鳥、平安時代には土器で壷形のものが最も多く発見されている。この骨壷は直接土の中に埋められたり、外容器に納めて埋められたものとがある。また金属製の骨壷には、墓誌銘文の記されたものもあった。
奈良・平安時代の骨壷は壷形で、つまみのある平らな蓋が被せられている。その他の特徴として、遺骨と同時に貨幣や砂を入れたものが見つかっている。その他三彩の骨壷も発見されている。三彩は美術品として唐三彩が最も有名であるが、三彩はもともと死者を埋葬するときに副葬する明器として用いられたものである。この三彩が日本に入ると、早速その美しさにみせられ、奈良三彩が作られあるものは骨壷として用いられた。その後平安・鎌倉時代に入ると、中国から青磁や青白磁の壷が骨壷として使われるようになった。そうした意味で骨壷はたえずその時代の最先端技術を用いて作られていたのである。
日本の火葬は西暦700年、中国帰りの法相宗の僧侶、道昭の遺言によって栗原で行われた。『続日本紀』によると、親族や弟子たちが火葬したあとの道昭の遺骨をほしがって相争い、そのうちに風が吹いて骨灰を吹き散らしてしまったという記事があるから、骨壷に納めなかったのであろう。
弘法大師の聖地・高野山に納骨する習慣が広まったのは、12世紀に入ってからである。高野山は清められた地であり、そこに納骨することによって死者が成仏するというふうに考えられた。こうした聖地に納骨する風習は、平安時代末期になると高野山の独占ではなくなり、格式のある寺院の五輪塔の下への納骨という風習として広がっていった。
鎌倉時代の僧侶忍性は、北条時宗の建てた病院で貧しい病人を看病し、20年間に5万7千人を養ったという。1303年に死去したのち、彼の遺骨は遺言によって3つに分けられて青銅製の骨壷(高さ26センチ)に納められ、3つの寺院の五輪塔の下に埋められた。
五輪塔は鎌倉時代に多く見られる墓の形式で、地水火風空の象徴であり、もともと密教の思想であった。世界はこの5つの要素から構成され、人が死ぬとまたこの5要素に帰って行くという思想で、人が死ぬと土に返るというものよりもより多次元の思想といえる。この五輪塔は仏舎利を納める容器の形ともなった。
舎利容器は蓋のついた壷形のものが基本であるが、さらに五大元素を表した五輪塔形の舎利容器、また仏像の内部に遺骨や経文を入れたものなどが登場した。また、奈良西大寺愛染堂に安置された興正菩薩叡尊(1201〜1290)の座像は、高さ88センチの等身像で、この僧が80歳を記念してして作られたもので、像内には仏舎利が安置された。京都南禅寺の開山大明国師(1212〜1291)の木造のなかには、仏舎利一粒、五輪小塔、そして経典が納められていた。これは大変リアルな肖像彫刻のなかに、遺骨とそれを供養する五輪塔、そして経典をセットにして内部に納めたもので、こうした供養の仕方は現代にも通じるものがあると思われる。
日本の骨壷はほとんどが陶磁器製であるが、その生産地は陶器は四日市市、常滑市、土焼きでは栃木県の益子町が有名である。また磁器製品では、愛知県瀬戸市が全国の8割りのシェアを得ている。またその他有名陶芸家による壷形・瓶形骨壷が製作され、さらに台湾製の大理石の骨壷まである。
骨壷は東京では小さく、地方に行くほど大きくなっている。また東日本と西日本では大きく習慣が異なり、東日本では全部、西日本では一部拾骨というように、火葬した遺骨を納める量の違いから骨壷の大きさの違いとなっている。遺骨を全部、壷に納める習慣がある地域では、どうしても大きな骨壷が必要となってくるわけである。
サイズは5寸、6寸、7寸などがあり、分骨用の壷は一まわり小さく作られており、全国的にはほぼ同じサイズで2寸から3寸までの間である。デザインは七宝の色鮮やかなもの、鳳凰をあしらったもの、花柄、経文入り、キリストでは十字のものなど多種多様である。
骨箱は骨壷を収納する木製の箱で、桐、モミの白木、また金欄や紫の布張り、白地などがある。サイズは4寸から7寸である。また金欄布製の分骨袋やそれを納める木製の厨子なども販売されている。
『火葬場』に、火葬場別骨上げ行為の所作と構成が記載されている。この調査は昭和50年当時のもので、現在では異なっているかも知れないが、参考までにあげておいた。
骨壷には戒名を記すが、さらにそれぞれの宗派にふさわしい経文などをしるすことがある。これは伝統的な作法であるが、最近では行われることが少ない。
例えば天台宗では骨壷の周りに阿弥陀様の呪文を梵字で3行にわたって記し、そのあと観音様と勢至菩薩の呪文を書くのである。次に蓋の表には往生が決定する呪文を梵字で、蓋の裏には9の仏様を表す梵字を、そして壷の底には阿弥陀様の呪文を記すのである。この文字は、死者が「西方にいます阿弥陀如来の元に往生するように」という願いが込められたものと思われる。
真言宗でも、骨壷の底に阿弥陀様の真言を記し、骨壷の蓋の裏に9つの仏様を表す梵字を記すのである。
臨済宗では骨箱の裏に「法名、取骨畢、年月日」を入れる。取骨畢とは骨を拾い終わるという意味で、年月日は收骨の日をさす。そして「如来舎利在宝塔中 逝者白骨同入仏道」つまり「如来のお骨は宝塔の中にあり、死者の白骨も同じく仏道に入る」と記す。
ペット用品製造販売のクハラ(下関市)では、萩焼窯元と業務提携し萩焼きのペット用骨壷を開発したという記事が『日経流通新聞』92年10月6日号に掲載されていた。このペット用骨壷は大で直径14センチ、高さ14.5センチ。桐箱入りで小売り価格大で7万円。小は3万円という。同じ日の紙面には、ペット納骨堂ピクシスが東京目黒に来年誕生すると出ていた。これは実際どうなっているのかを調べていないが、骨壷はもはや人間だけのものではない時代なのである。
墓地不足であるため、ロッカー形式の納骨堂が増えている。平成2年に総理府が調査しところ、ロッカー形式の納骨堂は抵抗感が強く、40歳代が56.3%と最も高く、「止む終えない」と答えたのが50歳代で36.6%であった。またスペースが墓地ほど必要ないので、都心では地下などを利用して納骨堂を作る寺院が目立っている。
西洋では火葬の普及に伴って、骨壷も様々な形態と材質が生まれた。例えば古代ギリシャの壷のような古典的なものから、モダーンなブック型のデザインまである。
ヨーロッパでは、主に火葬場内にある教会や礼拝所で葬儀が行われ、そのあと地下にある火葬炉で火葬が行われる。この時には日本のように点火や收骨に立ち会うことはしない。火葬された遺灰は、職員の手によって名前や番号が記された骨壷に納められ、その後遺族に手渡される。そしてこの骨壷は遺族の立会のもとで集合納骨室に納められるのである。
納骨室をコロンバリウムといい、日本の納骨堂のようにいくつものブロックで区切られ、家族単位で使用されている。個々の納骨部をニッチといい、骨壷を収納したあとに蓋をしてしまう。このニッチの大きさは縦横30センチくらいで、納骨のあと、故人の氏名、生没年月日が記された蓋で覆われる。もちろん收骨室によっては、中の骨壷がよく見えるガラスで覆われたものもある。
ヨーロッパやアメリカの骨壷は様々な形がある。それらは大きく分けて、壷形、立方体、そして宝石箱形が目につく。壷型はいわゆる骨壷で陶磁器や金属製である。立方体は金属製のモニュメントのようなもので、大変シンプルなものである。宝石箱型は4つの足がついており、大変安定性の高いものである。これは宝石箱のように蓋を開くことが出来る。またデザインは十字架の象徴の入ったもの、合掌している両手をデザインしたものが比較的ポピュラーである。
骨壷ボールトは骨壷を埋葬する時に用いる頑丈な覆いで、骨壷を永久に保存するために、頑丈な覆がそれを防いでくれる。もともと棺を土の中に埋葬するときに保護するために考えられ使用されたものであるが、それを骨壷に応用したものである。

【 49】引用元  納骨と骨壺(1994.04)
URL: http://www.osoushiki-plaza.com/institut/dw/199404.html


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