ビジネスに直結する中国の宴会事情(1)−筧武雄 1.三顧の礼 中国で宴会を主催し、客人を招待すると、まず大抵は「先約がありますから・・・・・・」と断わられてしまうことが多い。しかし、ここで簡単にあきらめてはいけません。□PR□筧武雄先生が講師を勤める神奈川県主催、中国ビジネス実戦講座 (4月からスタート、10回連続)をこちらから募集中です。 「様子を見て可能ならば必ずおいでください」と招待状を置いて帰ることが中国式の礼儀。もし、ここで「そうですか、では次の機会に・・・・・・」と一回で簡単に引き下がってしまうと、相手の中国人によっては、あなたのことを「無礼な人間」と誤解してしまうかもしれません。 本当の気持ちを素直にあらわさず、良く言えば謙遜、悪く言えば言行不一致、というのが多くの中国人の道徳です。昔から「三顧の礼」と言われるぐらい、断わられても少なくとも三回はこちらから誘うのが礼儀とわきまえておいたほうが良いでしょう。そのうえで、何の応諾の連絡もなければ、彼との関係は完全に消滅したと考えてよいでしょう。 しかし、あなたと彼が初対面で、一度あなたの招待する宴会でご馳走になったとすれば、彼とあなたの間には新しい「友人関係」が生まれたと言えます。このように、中国での宴会は、ビジネスにおいてきわめて重要な役割を果たすものです。 2.歓迎宴と答礼宴 ひと昔前であれば、到着日当日の夜、必ず中国側により歓迎宴が設定されました。もしもこの場に相手方のトップが出席していたら、今回の訪中目的はすでに80%以上成功したと考えて喜んだものです。 現在では、もはや以前のような宴会は姿を消しつつあり、一緒に食事すらとらないケースも増えてきました。しかし、「商談が食事時間に食い込んでいるのに、話を中断せず、食事に誘いもしない」ことは大変な失礼にあたると考える中国人はいまだに多いようです。 歓迎宴を受けた場合は必ず答礼宴が必要となります。しかし、よほど慣れていないかぎり、答礼宴の会場設定と予約、席順の配置については、中国側の担当者に依頼をして相手に任せたほうが賢明です。慣れていない日本人だけで設定することは大失敗の原因にもなりかねません。 中国の宴会の基本は、主人が客人をもてなすと同時に、客人も主人のメンツを最大限に尊重すべき場でもあります。日本企業が中国を訪問したとき、中国側歓迎宴の費用を無理矢理日本が負担すると言ってきかない日本人も時々存在します。このような態度は中国側のメンツを潰す大変失礼な態度ともとられかねないのでよく注意してください。基本的に、訪問したほうが先に歓迎を受け、帰るときにお返しをするというのが中国社会一般的礼儀であり主人のメンツです。最後の支払いの時にまで日本人が居残っていること自体が無礼と言えるかもしれません。 日本が中国を訪問しても歓迎宴が開かれない場合などに、日本側から先に日本の費用負担で中国側を宴席に招待することも特に問題はありませんが、何か事情がある、あるいは状況によっては失礼ととられる(相手方の面子を潰しかねない)こともありますから、招待する前に先方の担当者に意向を伺ったほうが良いでしょう。 3.宴会の目的と活用 上述のとおり、宴会の最大の目的は面識のない人と友人関係を作ることです。中国での宴会は公式の社交場といってよいでしょう。 ビジネスにおける宴会の活用目的として、以下のような点があげられます。 (1)相手方のトップの考え方や趣味等を直接聞く (2)相手方の序列を知る (3)当方の考え方を率直に相手方トップに伝える 特に、交渉に入る前、あるいは妥結に向けた話し合いや、重要な問題点の解決を図るような場面で、相手方トップと一度宴会のステップを経ておくプロセスは極めて重要なことであり、宴会終了後もしくはその翌日にすかさず短期間で一気に合意を図ります。 ただし、宴会の場で当方から具体的な陳情や交渉を直接トップに持ちかけることは、よほど親しい関係でもない限り避けたほうが無難です。逆に持ちかけられた場合も酒の席で軽々しく即答することは避けたほうがよいでしょう。
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【 151】引用元 三顧の礼と歓迎・答礼宴:中国式宴会の目的とは? 2005/04/01(金) 18:40:21 [中国情報局]
URL: http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2005&d=0401&f=column_0401_002.shtml
一言:<家族>パパ&ママ お姉ちゃん日英バイリンギャルです。癒し系の可愛い女の子。特技:フラフラの記事はこちら
<答礼人形>年の話なのですが。。アイダホに住んでいたママにとって、素敵な思い出となる出来事がありました。我が家がもう、マウイに引越しをするというその年。。お友達のK子さんのところに、1本の電話が日本から入りました。T先生という学校の先生で。「答礼人形」を調査しているというものでした。皆さん答礼人形ご存知でしょうか童謡「青い目の人形」のモデルとなった。。昭和2年、ギューリック博士が日米友好を願って。日本全国の学校に贈られた1万3千体の西洋人形。そのお礼にと、日本からアメリカの各州に1体ずつ贈られたのが。。答礼人形です。市松人形で、お嫁入り道具一式、パスポートまで携えての渡米でした。その頃の値段で1体350円、相当高価なものでした。資金は、それぞれの都道府県の小学生のお小遣いからの寄付金。。その頃の1道3府43県と6大都市、樺太、台湾、朝鮮、関東州の外地。皇室御下賜の1体を加えての58体。この58体、当時は当然船旅で渡米です。その頃12歳で小学生だった、パパのお母さん(現在92歳ユタ州在住)。アメリカ生まれですが、6歳で日本に帰国し横浜に住んでいました。横浜港にこのお人形達を、学校から見送りに行ったことを覚えていました。途中ハワイにも寄航し、大歓迎を受けた記録が残っています。しかし、その頃はまだハワイはアメリカ領ではなく、答礼人形はありませんでした。そして、サンフランシスコを経由、その後は汽車でワシントンDCに。。大きな歓迎式典が行われたそうです。その後、それぞれの都道府県の名前の付けられたお人形が、各州に配らせれ、展示されたそうです。しかし、戦争などを経て焼却されてしまったものも多く。どのくらいの答礼人形が残っているのか、日本で調査をされている方々がいて。。そこからK子さんのもとに、アイダホの答礼人形の行方の問い合わせだったわけです。そして、見つけましたなんとアイダホ歴史博物館の倉庫の奥底に眠っていたのです。名前はミス奈良K子さんが問い合わせた時、館長さんが。。。丁度その箱を見つけ、何だか分からず、どこに問い合わせようか探していたところだったとか。。全く奇遇とはこのことです。その話を聞き、関係者全員、鳥肌が立ちました。このミス奈良が、日の目を見たいと呼んでいたのでしょうかその後、相当破損していたのがわかり、日本に送り修復。この時も、多くの日本の方々の善意のお金が使われました。修復に送る前に。。日本人有志と博物館側のボランティアで、ミス奈良の公開をしました。その時の写真が、これです。お姉ちゃん10歳。。ママ。。内緒。。後ろが答礼人形・ミス奈良です。博物館では、お人形の着物の着せ方が分からず。。着付けの心得があるので、ママが丁重に着せ替えました。着せ替えながら。。思わず「良くがんばってたね〜。。綺麗に直してもらうからね。友好の象徴、みんなに見てもらおうね〜。」と話かけていました。そして、この時、今もお友達のスモーキーママさんをはじめとする有志で。。ジャパニーズ・カルチャー・ソサエティを結成しました。その後、ママはマウイに来てしまいましたが。。スモーキーママさんはじめ、まだ活動をなさっています。ミス奈良がもたらしてくれた、大きなアイダホの思い出。。一生忘れることはありません。そして、ママの結婚渡米と共にやって来たのが。。我が家の市松人形です。このお人形しゃんには、そんな思い出があったでしゅか〜。。ブログランキング参加中です。市松人形と可愛さを競っているモリーに「1ポチ、お願いちましゅ〜。。」
知っていますよ、このお話。私も、ここへ来るまで、横浜在住でしたから、「山下公園=横浜港」には、よく通っていました。「赤い靴」だったと思うけど、よく歌っていました。ママさんも素敵、おねぇcも素敵ですね。うちの母も、大事に、このお人形さん、持っています。
答礼人形。まったくしりましぇんでしたまたまたモリーママさんのところでお勉強させていただいちゃいますた〜人形って魂がやどるっていうじゃないだするか!?ずぼらな母は怖くて手元に置いとけないだするが、モリーママさんのお宅のお人形さんは大切にされてるって感じで、とっても優しいお顔しているようにみえまするのん
あんずさんアロハ〜!横浜の港には、たくさんの歴史と思い出があるんですね。グランマーから旗振ったの覚えてると聞いた時は、何か年数を経て、縁を感じました。市松人形、私も大好きです。ヤマト母さんアロハ〜!お人形に興味のある人は知ってる方が多いというお話です。私は昔からお人形が大好きで、自分でも良く作りました。この話も知っていたので、アイダホで見つかった時は感激でした。やっぱり、お人形は粗末にできないですね。といってもケースに入れて飾ってあるだけですが。。
答礼人形、初めて知りました。とっても勉強になります。こんな大切なお人形が、アメリカと日本にあるんですね。人形自体、最近見てなかったので、なんかすごく歴史を感じてしましました。そういえば、我が家のおひなさま、今年は出してあげようかな。
素敵なお話ですね。聞いたことのある話でしたが、そのお人形が答礼人形というのは知りませんでした。お人形の着付けをされたなんてすごいですね。おねえちゃんとご自分の着付けもされたのですか?人形も着物もしまいっぱなしではいけませんね。少し反省しました。
お人形、残っていてよかったですね!とかく、戦争とかがあると、敵国のものはシンボルとして、憎まれたり焼かれたりということがありますもの。今はちゃんと修復されて展示されているというのは、本当に喜ばしいことですね!
いいお話でした。昔、テレビでみたことがあります。その一体の修復に一役買われたのですね。すごいっ!嫁入り道具も残っていたのですか?
プチおひさです(^^ゞ答礼人形ってはじめて知りました素敵なお話ですねうちの実家にもお人形さんがあって母が大事にしてました。モリーちゃんが可愛いよ〜ポチ!
答礼人形。知りませんでした!写真で見ると思ったより大きな人形だったんですね!私の故郷のミス福岡はどこにいるのか気になります!!調べてみたくなりました。
・・人揃自体知りませんでした。そんなお・が隠されていたんですね。感揃しちゃった。キレイにしてもらったお人揃さんもよかった、よかった。お人揃の着付けって・しそうですよね〜。☆☆
歩いて奈良まで行ける大阪との県境に住んでます。そうですかーミス奈良ですかー。お姉ちゃんもママも,お人形さんみたいに綺麗で可愛いですねー。
東京ファームさんアロハ〜!日米友好のシンボル的存在のお人形、これからも、日の目を見て欲しいです。そうそう、家もお姉ちゃんがいなかったりで、お雛様最近出してないなあ〜。。koromamaさんアロハ〜!何十年もの月日を経て、本物に接する事が出来て、感激でした。友好のシンボルとして、もっと活躍させてあげたいですけどね〜。。日本にいたころ、着付けの先生の助手をしていたことがあるので、着付けは大好きなんです。本当に物のいいものは特にですね。我が家もお雛様久しく飾ってないです。雛のママさんアロハ〜!そうなんですよね。何の罪もないのに、ひどい目にあってしまいます。結構たくさんの答礼人形が破棄されたみたいです。反対に日本では西洋人形が破棄されたし。。引き続き平和のシンボルとして、展示さてて欲しいけど。。おけいさんアロハ〜!そうなんですよ。私も感激でした。お嫁入り道具もすべてではありませんが、良く残っていたと思います。でも、パスポートが入れ替わったりしてたらしく、人形とパスポートが一致しないというアクシデントがありました。rimiさんアロハ〜!80年前の話ですからね〜。。でも、平和友好のシンボルとして、これからも注目して欲しい存在だと思います。私もお人形大好きなんです。ということは。年代かな?☆さんアロハ〜!ミス福岡はオレゴンに健在でしたよ。そのリンクです。http://www.edu.ipa.go.jp/mirrors/aoime/20001110/fukuoka.htm私も結構大きくてびっくりしました。その当時の3歳児くらいの大きさで作ったと聞いた覚えがあります。本当に実物に会えて感激でした。reeさんアロハ〜!フロリダはどうなったのかしらね?私も実物を見たときは感激しました。でも、さっきスーモーキーママさんと話したら、今はまた倉庫に眠ってるらしいです。館長さんもドンドンかわるからね〜。。着付けが出来て、私も光栄でした。
ひなさんアロハ〜!そうですか〜!ちょっとややこしい、ミックスアップがあって、パスポートはミス奈良だったんですが、着物はミス和歌山の着物だったんです。それでも修復の時は、奈良のオリジナルミス奈良を作った方の息子さんが修復してくれました。お金も奈良の方々とアイダホの人たちの寄付だったんですよ。
今は展示されていないようですね。残念、見に行こうと思ったのに。お人形のことは知っていましたが、「答礼人形」という名前は知りませんでした。よく人形には魂が宿るといいますよね、大切にしたいですね。そういえば、もう直ぐひな祭りですねえ。
私もこの話、知ってます。前に新聞か雑誌に掲載されていたような。「ミス奈良」再び、皆さんとご一緒できてよかったですね。着物の着付けの心得があるなんて、ステキですね。私は、全然です。それにしても、ママさんとお嬢さん、美人親子ですね。
こんばんは〜。素敵なお話です。お人形と一緒のモリーママさんとお嬢さんも素敵! 着物が似合ってますね。 私も答礼人形のことは全く知りませんでした。オレゴンとアイダホに残ってたならワシントン州に残ってても不思議じゃありませんね。う〜ん、気になるなぁ。もし残ってるんだったらぜひ見に行きたいです。先日のスパムのレシピ、ぜひアップして下さい! いまいちイメージが湧かなくてまだ作ってないんですよ〜。
モモママさんアロハ〜!そうらしいです。。館長さんの交代とかもありますしね。飾るコーナーがないというのが、理由らしいです。見つけた時はメイヤーまでもがインボーブしたのに。。修復にも何百万とかかってるんですよ。倉庫で眠らせておくのは可哀想。。hirorinさんアロハ〜!結構ニュースになってたと思うんですよ。同じ頃、他の州でも見つかったし。子供の頃から着物大好きで、家にいた頃着付け教室に行ったんです。ハワイに来てからは、お姉ちゃんの日本舞踊の着付け専属になってました。ありがとう〜。。写真がボケててラッキーでした。ノリコさんアロハ〜!ワシントン州のはミス徳島で、ケニー・コールス博物館が所有してるらしいですよ。里帰りも実現しています。見つけた時は、ある程度注目されますが、あとはほったらかしの感あります。残念だけど。。スパムおむすび、じゃあスパム買ってきて載せますね!我が家の大好物よ〜。。
答札人形のお話、初めて知りました。遠い昔に船で長旅をしてアメリカに渡った人形達がいたんですね。子供の頃はあまりにリアルな顔立ちのせいか市松人形が苦手だった私ですが、現在は、アメリカで、夫が趣味で集めた日本人形が置かれた部屋に暮らしています。モリーママさんもお姉ちゃんも、着物姿がバッチリ決まってますね☆1994年のお写真とはいえ、もしモリーママさんをどこかで見かけたら、人違いせずちゃんと声を掛けられるような気がしてきましたよ。
私はミス奈良の修理、展示の時、お母様にたいへんお世話になった奧田です。当時、私はアイダホに住んでいて、今でも、修理前のミス奈良をかこんでお母様方がひな祭りをしてくださったこと、修理のあと、お母様をはじめ大勢の方の前で、州知事がミス奈良を披露されたこと、昨日のように覚えています。その後、お母様方が作られた日米協会で阪神大震災の募金をされ、ミス奈良の使命を果されました。 私にとってもミス奈良とアイダホの思い出は、人生の財産です。お母様によろしく。
私は江原鉄也と申します。ボイシー州立大学で日本語を教えています。ミス奈良に関してはボイシーのhistorical museum の職員のジョディー・オチョアさんや奈良にミス奈良が里帰りした時に同行したケン・スワンソンさんを知っています。私は2005年3月に博物館で雛祭りを計画してミス奈良・ニューミス奈良の陳列の同時に日本からゲストとして来られた女性の青い目の人形の陳列も同時に行うことができました。この時の雛祭りはスポーケンから高岡美知子先生(答礼人形のリサーチをされている方)もお招きし、答礼人形の歴史について講演していただきました。私は現在Japan Scoiety in Idaho で副会長をしております。この際できればこのアイダホ日本協会の歴史についてたとえばどのようにしてこの日本協会が発足したかなどをお教えいただければ幸いです。 ミス奈良に関してはヒストリカル・ミュージアムが近い将来改築され新しい博物館として生まれ変わる予定ですが、館員のオチョアさんに私からリクエストしていることは:新博物館でのミス奈良の永久的なスペースの保持・ミス奈良の修繕・永久的にミス奈良をアイダホ州民に見ていただくための特別なショーケースの購入もしくは製作。ミス奈良は答礼人形としてのミッションは多くのアイダホ州民とその子供達に会うことです。それによってミス奈良の存在を知らせ、ギューリック先生の日米和平への遺志を次の世代の子供達に伝えることは重要なことです。現在のミス奈良は大半の時間を博物館の保存室で過ごしている状態ですので、早く州民の皆さんや在住日本人の方の面会が叶うことを強く希望しております。江原鉄也
【 152】引用元 モリー イン パラダイス <マウイの日々>: 答礼人形
URL: http://momotan.a-thera.jp/article/1268611.html