冠婚葬祭で恥をかかないための知識やマナー、礼儀などの大辞典です。

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結婚式、お葬式のマナー、電報、お祝い、お悔やみなどの参考辞典

最終更新日  2008年 01月 23日

書き方とは?

わかりやすく読みやすい文書を作成するための方法論を整理してみます。随時改訂していきますのでご意見をお寄せください。
野口悠紀雄氏の指摘するように、文書(文章)には適切なサイズがあります。人に伝えたいことをまとめるにあたって、冗長でなく不足もないサイズを目的別に4段階に分けます。
短文は、A4版の紙1枚に収まる量です。これより長い連絡文書をもらっても、忙しい中で読み手にきちんと読んでもらえる保障はないでしょう。
報告書など論理的な構成をおこなう文書は、章・節・項のような構成を番号付けして示します。ルールをはっきりさせていないと読者は混乱します。一般に論理構成は3層までにするのがわかりやすいです。
数字だけで構成せず「章」の文字を入れることもあります。また、カナやアルファベットなど異種の記号を下位の構成に入れたりすることもあります。
文書の論理構成を表す数字と、リストに列挙したものにつける数字とが混乱しないようにしなければなりません。その場合に好まれる○付き数字は機種依存文字なので、列挙の場合には"1)"や"ア)"のような片カッコをつけて表現することが望ましいでしょう。
数字の表現は、カッコなし>両カッコ>片カッコの順でレベルが下がっていくことが一般的な使い方です。
レベル別の表現を自分なりに統一して乱さないことが大切です。通常の文書では、アラビア数字を主として、ローマ数字の使用や変わったカッコの使用などは控えた方がよいでしょう。
今まで文書を書くことが苦手だった人にも、ワープロの普及で文書を作成する機会が増えました。しかし、カナ漢字変換によって難しい漢字が文面に増えてきて読みづらさを感じることがあります。漢字は一目見て多くの概念を伝えることができる有用な文字ですが、文中に漢字が多すぎるものは圧迫感があります。そのため、新聞などでは長年の実践の中で記載方法を整理してきています。私たちも、その成果に学びたいものです
漢字で書くのは文書のキーワードとなる名詞を中心にし、そのほかの補助的な用語は漢字の使用を減らして、ひらがなにすることが基本ルールです。しかし、前後のつながりから平仮名ばかり続くと誤解されやすい場合にはあえて漢字に切り替えることも許されます。
共同通信社の「記者ハンドブック」では、「1.代名詞、連体詞、接続詞、感動詞、助詞、助動詞・補助用言、形式名詞は、平仮名を主体とし、副詞は平仮名と漢字を書き分ける。2.接頭語、接尾語は原則として平仮名書きにする。3.漢字本来の意味がずれて使われる語は、平仮名書きがよい。4.あて字に類するものは、原則として平仮名書きとする。(以下略)」としています。
いくつか平仮名にすべきものの実例を、「記者ハンドブック」から抜粋して紹介します。カナ漢字変換ソフトのATOKなどは、出荷時の設定でひらがな表記が第一候補となっています。漢字検定に挑戦するのでなければ、変な学習をさせない方がよいでしょう。( )内は使うべきでない漢字です。
セミコロンとコロンを使い間違えている例をよく見ます。セミコロンはカンマとピリオドの間の強さの区切り記号で、コロンは「なぜならば」と説明を付けたり例示したりする場合に使います。形は似ていますが全く違う使い方です。
日本語の句読点の使い方については、本田勝一氏の本が論理的で分かりやすく記述しています。
ピリオド(.)−縦書きならば句点(。)は、文末に用います。ピリオドやコンマが行の頭に来ることはありません。 コンマ(,)−縦書きならば読点(、)の打ち方は、文章の読みやすさをかなり左右します。
(c)コンマが多すぎてくどい場合は、(a)の「受けることばが離れているとき」のコンマは省いてもよい。
きのう、ぼくはおじさんの家へ行った。 セミコロン(;)は、コンマの親玉です。一つの文の中でコンマより強く区切りをつけたい時に使います。
コロン(:)は、文中の強い区切りの符号(コンマより強く、セミコロンよりは弱い)として、それに続いて書くことが、そこまでに書いたことの詳細、あるいは要約、あるいは説明であることを示すのが役割です。一口にいえば<すなわち>です。
なかぐろあるいはなかてん(・)は、並列、並列連結をあらわす記号です(例:図・表の使い方)。また、欧語をカナ書きする場合に語の切れ目を示すのにも使われます(例イングリッシュ・コンポジション)。
ダッシュ(−)は、形式ばる必要がない場合に、コロンやカッコの代わりに使われます。ダッシュは、挿入節(句、語)を二つのダッシュではさんで使います。
リーダー(・・・)は、「以下省略」をあらわす記号です。カッコの種類はいろいろありますが、ふつうに使うのは丸カッコ(パーレン)( )、角カッコあるいはブラケット[ ]、ブレース{ }、カギカッコ「 」、二重カギカッコ『 』、ギュメ< >、クォテーション・マーク“ ”、‘ ’です。丸カッコ、角カッコ、ブレースの用法については数式内のカッコの順序が、{ [ ( ) ] }のようになることを知っていれば良いでしょう。
カギカッコは、会話の文をはさむことと、他の文章または文からの引用に用いられます。また、ある一つの考え、観念をはっきり浮き立たせて書くのに使うこともあります。 受身の文では「誰がそれをしたのか」、「誰がそう考えるのか」がぼけてしまう。 二重カギカッコは、書名を引用するときに『国語辞典』のように使います。また、カギカッコの中に、さらにカギカッコを入れたいとき、後者を二重カギカッコにします( 「■■■『■■■■■』■■■」)。
数字は、1桁のみのときは全角で、複数桁の場合には半角で表記するのが標準的な組み版ルールです。データとして扱われる表では、1桁でも半角として表現した方が自然です。
全角表現が標準です。表組みなどでムリしてレイアウトするときは例外ですが、半角カナを使わない方が読みやすいです。また、インターネット経由では半角カナの使用は禁忌です。日本語は全角で表記するようにしましょう。
印刷して配布するときの仕上がりに気をつかいましょう。組み版ルールからいって以下のような原則が紹介されています。ワープロ文書でも参考にしましょう。
版面とは………各ページに配置される『写真・文字・図版』などが存在する『印刷面』。
2. 版面の大きさは、判型によって異なるが、1冊の本の中では、大きさを統一する。
5. 版面の形と位地によって決定されるマージンのとり方は、天・地・ノド・小口のバランス、左右見開き2ページの視覚的バランスを考えて決める。
6. 版面と相似形で紙面の天地・左右中央に置くのが基本であるが、視覚的な中心と使いやすさ等を考えて、次の2つの原則も合わせて考慮する。
本を開いて持った時、上部が「天」、下部が「地」、綴じてある側が「ノド」、開かれた端側が「小口」。
● 柱 ページヘッダとかページフッタとか呼ばれているやつ。毎ページ上部に「第1章 はじめに」とかついてるアレのこと。
私たちが一般に多く作成する文書では、A4版で作成する内部文書では一般向け書籍より版面の率が高くなります。ワープロ文書でも以下のマージン設定を標準として、まわりに余白を作って印刷すると読みやすい文書となるでしょう。
1行の長さが長いと読みにくいので、A4版縦では横組み2〜3段構成が読みやすいでしょう。
文字組においても以下のような定石があります。ワープロの場合には文字サイズをポイントで指定します。
版面を構成する級数・字詰・行間は、読者対象(年齢層等)や原稿内容、原稿量によって異なる。
文書の目的別に、サイズを選びます。本文には、標準サイズとして、一般向けは10ポイントを使用し、内部文書で多くの情報を紙面に入れたいときには9ポイント、高齢者向けには11〜12ポイントで本文を作成します。
別に書いた「文字サイズ換算早見表」も参考にしていただきたいのですが、むやみに(無計画に)フォントサイズを変えることを避けるために、はじめにルールを決めましょう。
こんな感じに決めたら、あとはむやみにサイズをいじくらないようにします。決めたラインナップ以外のものはあくまでも「イレギュラー」の扱いをしましょう。
行間が詰まった文書は、大変読みづらいものです。また、日本語は縦にも横にも読めるので、きちんとしたルールで行間と文字間をとらないと見苦しいものになります。
内部向けの文書では、行間が70%では間延びして見えるので60%ぐらいが自然です。紙面の余裕がないときでも50%を切る文書を作るのはやめてほしいものです。
フォントは、もともと全角ギリギリ一杯に作られてはいません。字間ゼロで並べても文字同士がくっつかないようにちゃんと考えてデザインされています。良かれと思って字間を広げたりすると、可読性は失われていくのが普通です。業界用語で、字間ゼロのことを「字間ベタ」というのですが、本文組については、この「字間ベタ」が基本です。
ということは、最近流行の「詰め組(カーニング)」というやつも、本文で使うべき組み方ではありません。この問題は別の機会におきますが、まずはこの「字間ベタ」が基本であるということを知っておいて損はありません。
行間ベタ(ゼロ)というのは論外ですが、和文を組む場合、最低でも半角分はあけないと読みにくいとされています。
たとえば本文が10ポイントの場合、行間5ポイントが「行間半角アキ」になります。これ以下のアキで組むのは避けたいものです。
実際に組んでみるとわかると思いますが、実はこれでも窮屈感がある場合が多いのです。ですから、印刷業界では「2分4(にぶしぶ)アキ」という言い方があり、つまり
10ポイントの例でいうと、「5(2分)+2.5(4分)」で「行間7.5ポイント」ということになります。0.5という端数を嫌い、行間8ポイントに丸めてしまうのが通例ですが。逆に、広ければいいってもんでもなくて、全角以上のアキを作ってしまうと、行から行への目移りに負担を与える要素となってしまいます。詩集のように「ゆったり」組むことを狙う場合は別ですが、せいぜい行間は全角アキにとどめておくのが無難です。
日本語に独特なの組み版ルールとして罫線があります。オモテ罫・ウラ罫という用語が印刷業界では使われてきました。罫線の多用は紙面をうっとうしくしますが、上手に使うと読み間違いのない文書を作れます。標準的な罫線の太さ選びとして、ワープロ文書でも参考となります。
太さ0.4mm(1.1Pt)程度の罫線。「太罫」「G罫(ゴシックから)」などとも言われます。鉛活字の印刷(活版印刷)では、罫線ももちろん金属で作ります。この金属、包丁の歯のように片辺は細く、そのウラが太く作られていました。そこでこういう呼び方になりました。
最近のWindowsソフトはたくさんのおまけフォント(書体)を持っています。しかし、チラシを作るときでなければ、本文は明朝体が一番読みやすいです。ゴシックは強調するとき以外は使わない方が落ち着いた文書になります。
日本語の文書は、文字が縦方向でも整列している方が自然に見えます。大きな見出し以外にはプロポーショナルフォントを選ばない方がよいでしょう。
今や、安いTrueTypeフォントがパッケージでドーンと手に入る時代です。「細」「中細」「中」「中太」「太」……などなど、同じ明朝でも太さ(ウェイト)のバリエーションが揃っていて、どれを使っていいものやら困ります。また、「勘亭流」やら「ポップ書体」やら、デザインフォントも様々なものがパッケージングされていて、せっかくあるものならば使いたくなるのも人情です。
しかし!ここでグッとこらえて、「自分の中での標準フォントセット」を決めておくといいと思います。
その際、フォント名につけられている「細」とか「太」などという名前は無視して、とりあえず、すべての書体を並べたサンプルを自分で作り、実際に使うプリンタで出力し、そこから抜き出しておくのです。
と決めたら、それ以外は特別な場合を除いて使わないようにします。 その上、思い切って「勘亭流」などのデザインフォントは一切使わない!と決めてしまってもいいと思います。
ポスターや広告を作るのなら別ですが、通常の印刷物の中でこのような書体をやたらに使うと、読み手の注意力が散漫になったり、可読性を損なう原因になったりすることも。章の見出など、ここぞという時に使うのならば効果が期待できますが、基本的に「使わない」とした方が、結果的には読みやすいものができると思います。
あと、強調したいあまり、「太いゴシック」を多用される例も見受けられますが、「目立つ」を通り越して「浮いてる」場合が多いんですね。同じウェイトのゴシックに変えるだけで強調の目的はとりあえず達成できるわけですし、自分が思うより読み手にとっては強調されて映っていると思って下さい。
特殊記号のうちキーボードから入力するものなどの読み方を紹介します。以下の読みは英語の発音に近いものとなっています。

【 100】引用元  文章の書き方・文書の作り方
URL: http://www.gaiki.net/lib/199x/99/99a25wrt2.html

工学部の標準的な卒論の書き方について説明します。修士論文でも博士論文でも書き方は同じです。
卒論は習作であり、基準は甘い。対外発表論文では第1条は「他人のアイデアより明らかに優れたアイデア」と厳しくなる。
題目: 説明的なタイトルを付ける。例えば「人体計測装置の研究」では舌足らずであり、「赤外線平行投影法を用いた人体計測装置」とか、「海中でも使用可能な人体計測装置」などがよい。(私の上司の金出武雄氏の方式)。
「どんな議論でも、まずはじめに、異論の無い出発点を提示しなければならぬ」(アポロニアのディオゲネス)
1−2 関連研究: 分野の小史。学界の流れから見た本研究の位置付けを予告するように誘導する。
「○○問題に取り組むにあたって参考となる研究事例を見てみよう。それらの研究の、問題設定はこうで、成功のあり様とその理由はこうであり、限界とその理由はこうである。
したがって、○○問題に対して△△までは妥当な作戦として採用し××の改良・補強を考えるという方針が考えられる。」
“限界とその理由”は公平な心で考えないと、単なるケナシになってしまう。その先行研究の方法は、「本研究の関心とする問題には、不都合があり要求性能を満たさない」と言うか、「より妥当な代案がありえる」と言うぐらいになる。
先人を批判しない方法もありえる。「ところで△△という素晴らしい方法を、○○問題に使ってみようという試みは、今まで本格的になされてこなかった。その理由は、××に難点があったからである。××は今のところ未解決問題(open problem)になっている」と書く。人をけなさず、Open Problem があるのよねと言えばいい。
“背景”で挙げた問題範囲を全て解決できるわけではない。どの部分から優先的に着手するのが良いか、考えを書く。宝石の原石をカットするように、問題の側面を切り出して、“検討表”の行にしてみよう。そして、実行する価値と実現可能性を比べてみる。
「みなさん、この問題をこんな風に解決できたら、なんて便利だろうと思いませんか?」
「極限状況での調理を研究しろ」と言われたら・・・、それをブレークダウン(「何から手をつけるのか」を考える)する。
※方策のアイデアは多いに越したことは無い。奇想天外なものや簡単に思えるものも、何でもいいから挙げてみる。
第3章 道具や作ったものの説明 : 無くてもよい。計画で目論んだ機能を、どのような“からくり”で実現するるかについて、対応付けながら記述する。いわゆるスペックデータであっても、要求機能に対応しない些末な事ならば、ここでは書かなくて良い。
第4章 やってみたこと(実験など) : 第3章と比較すると、ここでは何か特別な目的をもって重点的に行ったことについて詳しく述べる。
謝辞: 研究指導者、研究資金源への謝辞。○○○に迷った・困った時に、誰に▽▽▽と教えてもらった、など。研究過程の実態がにじみ出るので、非常によく読まれる部分である。
本数が足りないなと思う場合は、大型書店に行き、専門書の本棚を眺めてみることである。東京なら、東京駅の八重洲口南の八重洲ブックセンターと丸の内北口の丸善丸の内本店、神保町書店集中地帯(書泉グランデ、三省堂、東京堂書店(本店の方)、明倫館(古書洋書))、池袋東口(ジュンク堂、西武デパート書籍館)、新宿の紀伊国屋書店(複数店舗あり)、などである。必ず関連する本が見つかるはずである。関連する本を全部買うことはできないが、分野の歴史を調査できる。(たいていの本は図書館にあるので、新刊書を急ぎで精読する場合以外に、無理に買う必要は無い。大型書店が優れている理由は、自治体図書館より横書きの本の量が多いこと、大学図書館より新刊書が豊富なこと。)
最近の研究に関する文献を充実させるには、講演会などの2ページ程度の短い論文でもばんばん集める。WWWページでもよい。
付録資料: 図面、装置の操作方法のコツや、失敗したこと、論文には結び付けなかった仕事や実験、プログラムリストなどを、後輩の助けのために付ける。卒論審査には関係ないので、審査後に製本する際に差し入れて間に合う。あまり早めから差し入れると印刷が大変になることもある。
速く楽に書くコツは、「広く浅く書いて積み上げる」ことと「人に見せる」ことである。
「全体のアウトラインを決める」(結論表を作る。結論表から目次を作る。各部分で何を書く予定か箇条書きにする。)
「ある部分の8割が書けたら、他の部分の執筆に移る。10割の完成までは険しい」(浮気者の原則アゲイン)
「客観と主観を同一部分に書かない」(「この値は7だった」と書くのはよいが、「この値は7と大きく素晴らしい」と書くのはダメである。)
「同じことを2度書かない」(同一の内容が複数回表れるのはダメ。同一の事柄について述べるにしても、見方や詳細度を変化させて書くこと。
例えば、ことがらAを、序論では課題としてのA、2章では概念・モデルとしてのA、3章では設計する上でのA、4章ではデータとしてのA、結論では要するにAは何だったか、と書く。
結論に結びつかず無駄である。削ること。論文は彫刻。やったことの寄せ集めではダメ。
謝辞:ウォーミングアップ。とりあえず書いておく。卒論のファイルがコンピュータ上に出現するので、心理的に勢いがつく。
読者が使いたくなる結果が載っている論文。(たとえ発想が平凡であっても、データが優れていて、同業者はこれを引用しないわけにはいかない論文。)
読者になるほどなと思わせる論文。つまり、読みやすく、分りやすく、結論が自然であるのに、類例がない論文。
どうすれば、そうなるか?:研究課題をできるだけ深く突き詰めて考え抜くこと。浮気しないこと。
「私は天才ではない。ただ、一つの事に人よりも長く付き合っただけだ」(アインシュタイン)
執筆中に指導教官や同僚には、なるべく見せない。(「他人の文章の善し悪しはわかるが、自分の文章はわからない」(宮脇俊三だったかな?))
グラフはExcel様のなすがままに、いいかげんに作る。(グラフの軸目盛で有効数字を表現する方法って絶滅寸前か。)
理由は常に曖昧に。計画性がなく、思いつきの実験を少ない事例だけで実験したように思わせる。
精度とノイズレベルも曖昧に。(特に文系・マスコミの人は、測定誤差がデータの構成要素であることが理解できない傾向がある。誤差というと自己否定にしか思えないらしい。米国の世論調査にはノイズレベルが明示されている。日本だと○○党1%有利などと平気で言う。
一点買いは単純明快だがリスクが高い。多点買いの戦略理論はプロ好みで奥深い。誤差の素性を把握してこその戦略である。)
テーマの平凡さを、道具のすごさで誤魔化す。(最新のソフトウエアテクノロジを使ったり、値段の高い実験装置を使ったりすると、見栄えがよくなる)
テーマの平凡さを、数式のすごさで誤魔化す。(文字はなるべくギリシャ文字を使用し、積分方程式で記述。一見難しそうに見えるが、実験の際には変数を定数であると強引に仮定すれば逃げられる。)
結論は「○○○が重要であることが分った」で締めておき、○○○が何にどうつながるのかは言わない。
結論では、出来なかったことの言い訳を並べる。出来たことの評価は深く考えずに書く。
筆者がとある(粗製濫造気味の)論文を書いていた時、金出武雄先生に見てもらった。その時に論文執筆に関する金出理論をいろいろ教えていただいた。
★題名について:「AによるB」という題名なら、序論の部分で、本研究は「XによるB」より優れていることを言うか、「AによるX」が着眼点として優れていることを言うのだろうな、と読者は期待する。そうなっているか?
★見出しについて(1):見出しの呼応関係をチェックする。見出し一覧だけの表示にしてみる。(ワードならアウトラインモードレベル3表示。Texなら目次作成など。)見出しだけ読み進めて内容が類推できるか?突飛な話題変更や話題の断絶がないか確認する。
見出しは説明的でなければならない。ありふれた「序論」とか「方法」というのは内容が不明である。(もっとも心理学の学界などでは、論文構成の統一のために、見出しが固定になっていることもある。)
★見出しについて(2):論理展開のスピードは、ある程度一定でなければならない。論文の前の方で一般的な議論をゆっくりやっているのに、後半になって急に特定の実験に関する細かい説明を大急ぎにやると、読者はついていけいない。実際に自分がやったことに無理なく話題が収束するように、話題を予告・誘導する必要がある。論文題目名を例えば「大きな事:特定の事」と副題を添えた構成にすると、話題が予告できる。
★見出しについて(3):章・節・サブ節とつながる時に、章見出しの後にすぐ節見出しが来るのはわかりにくい。間に説明を入れること。
高速配達郵便とは、新技術を用いて通常より速く配達する郵便である。主に、気送管郵便、航空郵便、電送郵便が用いられる。
★文章間のつながり:文章の論旨の飛躍を防ぐために、章と章、段落と段落、文と文の間で、次の2つの継承に気を配る。
(1)頻出単語の連携:盛んに使われている単語を抜き出してみる。前の頻出語と後の頻出語は、内容的に関連性のある言葉か?内容的に突飛ではないか?
出現頻度の特に高い単語は、使用を始める前に別段に段落を立てて、論じる理由を説明するべきである。
(2)論理の継承:前段の主張内容を、後段でどう料理しているか。「問題提起→解決策の検討」「分野の発展の歴史→次にできそうなことの考察」、「概念の登場→その内容の説明」など。
例:「以上の考察を踏まえ、次の結論を得る。」←内容が無い割に長い。こんな言辞は削除していい。
★読者の注目度:読者の関心は、冒頭が最大で、中間は中だるみし、終わりに少し持ち直す。よって、論文の頭、章の頭、段落の頭が、最も注目される。ここで、内容を大づかみかつ明解に説明するべし。判ってもらえないと、次の段に読み飛ばされる。
★ストーリー展開:論文には物語性がある。「私はこう考えました。こうやってみました。するとこれが解りました」という研究物語になっている。このストーリー展開を乱すものは、途中での詳しすぎる説明や、内容的な蛇足である。論文の明解さを保つために、これらは付録に回してみることを検討せよ。
この論文はたった13行しかないが、科学史に残る極めて重要な論文である。“重要”とは、よく引用される論文という意味である。
しかし、内容を論より証拠で示すことが求められる。そうすると、論文は自然と長くなる。
第2次世界大戦中、英国首相チャーチルは、日々送られてくる膨大な文書を選別する基準として、「1ページをはみだした文書は読むに値しない」と、捨ててしまったそうである。簡潔な報告書は、内容の価値が高いのである。
字は大きいほうが読みやすい。紙の無駄になるが、文字の大きさは12ポイントぐらいが良いと、私は思う。行間は1行とばし程度が、添削する上でも便利である。年配の教官や審査員が読むことを考えると、この書式が良い。会社や役所で偉い人に読んでもらう内部文章もこの書式が多い。(ちなみにデキる社員は、必ず読んでもらいたい部分に赤線を引く。)いかにも原稿という雰囲気がする。よく読んで考えてみようという気になる。
(この組版、学生は雑誌や文庫本しか活字に馴染みがないのか、妙に受けが悪い。まあ結局は、大学当局が定めている書式の規定に従う場合が多いのだが。)
「君、普段はもっと素直な文章を書くでしょう? せっかく面白いの書けるのに個性殺してちゃ勿体ない」(祐天寺良一)
「なんだ。普通の日本語で書けば当たり前のことじゃないか!」(『衝動殺人 息子よ』)
書いた文章を読み上げさせる。目をつぶって聞いてみて、我ながら分かりにくい箇所は修正する。
最近はパソコンのおまけについてくるぐらいお安くなりました。フリーソフトもある。
みうらじゅん先生は、腱鞘炎の苦痛を克服しなければもの書きにはなれないと言う。長文の作成は手に負担がかかる。特に悪いキーボードを使っていると、手が簡単に壊れてしまう。USB接続キーボードはそれほど高価ではない。パソコン付属のキーボードそのまんまはやめて、良いものを選びたい。私の考える要件は次のとおり。
無駄なキーが省かれているもの。(一度も使わないキーや、2つは必要ないキーなど。)
持ち運びやすい大きさと重量であること。(出先で使いたいので。ただ、“人間工学的”キー配置のものは、たいがい大きい。)
ワープロ系ソフトは動作が遅い。図や写真を含む長い文書になるとイライラするほど遅くなる。画像処理関係のソフトも遅い。これらのソフト立ち上げ前に、メモリを掃除するフリーソフトを使って、徹底的にメモリを確保するのがよい。(軽快なエディタでやるというのも一つの手である。が、アウトライン編集機能、図表の取り扱い、スペルチェックなどの機能を考えると、二の足を踏む。)
(長所) 無料。Linuxでも使える。スペルチェック付き。表計算ソフト、お絵かきソフト、パワポのパチモン、数式作成ソフト、データベースソフト付き。PDF形式やFlush形式にて出力可能。こうしたオマケがお得で普及しそう。
(短所) 歴史が浅いのでまだまだ動作不安定。パチモンゆえワードの長所も欠点もそのままなぞっている。
例えば、thinkfreeなど無料でやっているところもある。パソコンはもちろん、ファイルまで持ち歩く必要がなく、ファイルの紛失・盗難に対しては良いかもしれない。今のところ私は必要が無いので使っていない。
(長所) 操作が簡単。スペルチェックとシソーラス(!!!)機能がある。普及率が高い(未来の職場においてもファイルを読める可能性が高い)。図や数式の貼り込みが直感的に出来る。パソコンを買うとセットで付いてきていることが多い。
(短所) 段落の設定や図の配置などで不安定な挙動が多い。文献番号の整理などの高度なことは出来ない。長大な論文になると動作が遅くなる。値段が高い(OpenOfficeという無料のパチモンがある)。
よくレイアウト関係のトラブルに対する助言として、「テキストボックスを使え」とか、「アンカーをうまく設定せよ」とか、「プロパティーを開いて、レイアウトを行内をやめて四角にせよ」とか、「文字列と一緒に移動するのチェックボックスをオフにせよ」とか言われるが、何をやっても駄目な時は駄目である。まあ卒論はページ数の制限がないので、潔くダサいデザインを甘受する。
図と表の配置が崩れる症例: Aさんのパソコンでは図表はきちんと配置されていたのに、Bさんのパソコンでは配置が崩れてしまう場合。→選択されている「プリンター」の違いによって、組版が影響を受けることがある。共通のプリンタドライバを選べば、治る。
(長所) 操作が簡単なわりに、複雑なこともできる。文書作成ソフトのなのでは一番バランスが取れているのではないか。簡単にPDFに変換できる。タイポグラフィなど見映えに関する機能が真面目に整備されている。
(短所) 価格が高い。普及率が低い(相手に読ませるだけならPDFで渡せば良いのだが)。複雑なことをするには練習を要する。エディタ部分が貧弱。
(長所) 数式が美しく、番号整理も自動で便利。学会誌でもLaTeXの原稿を受け付けるところが多いので、学会誌投稿の場合に原稿ファイルの流用ができる。テキストエディタは自分の好きなものを使える。基本的に無料で使える(自宅PCと学校PCの両方にインストールしても金がかからない)。
(短所) 難しい。あれもこれも出来る反面、あれもこれも命令名を知らないと出来ない。バージョン違いや方言が多く、これを克服しないと1ページも出来ないことがある。またエラーの表示内容が、時代遅れ・不親切・意味不明である。インストールの設定が面倒(PC買い替えごとにインストールするのは意外と面倒である)。ソフトウエア部品の権利関係が複雑で、環境一揃いを一発インストールができない。書類のスタイルを変更することは素人には難しい。スペルチェックがやりづらい。参考書に金がかかる。いつまで流通するのか不安。分野によって普及度がまちまちである。一般の人はまず知らない。
書きかけの論文をWebページとして、研究室内のメンバーに公開し、日々少しずつ書き足すと、楽である。(論文のWeb公開は学者の就活には重要。)
コンピュータ上での英文作成上の呪いとなっているのが、これら引用符の文字処理、文字コードの問題である。古くは、タイプライタのdumb
この欠点はしばしば致命的であって、英文をワープロソフトでつくり、PDFに変換すると、アポストロフィやクォーテーションマークが2バイト文字として符号化されることが多い。(引用始まり(“)と引用終わり(”)を区別する1バイト文字がないからである。)2バイト文字は外国で読めないこともあるのになぁ。
Windows版jLatexを使用して執筆。(ちなみに審査員の受けはイマイチで、防衛に結構苦労した。後藤友香「正義隊」のようなアレな感じはある。)
下手でも気にするな。 「弱い犬ほどよく吠えるって言うけど、何にもしないよりはマシなんだぜ」(尾崎豊)
凝るな。凝ったアイデアより素朴なアイデア。問題に突き当たったら、直接的で露骨な力技に走るよりも、問題の前提を洗い直す。問題を分解する。「AもBも行うもの」は得難いが、バラバラにできるなら簡単になる。いっそAなしでBは出来ないか。思考の惰性を無くす。
「実験にかかる莫大な費用・労力・時間・失敗を考えれば、速戦速勝が最良の方策である」(孫子)
実験の目的、つまり「何を確かめるか」を明らかにして、それを確かめるだけの必要最低限の実験を計画すべきである。計画には智恵を振り絞ること。
重要度が乏しく、理論で充分な予測と説明が可能な現象は、実験すべきでない。しかし大抵の現象は、こうした常識的に予測できる(と思われている)現象であろう。
「やってみなければ判らないこと」と、「やらなくてもいいこと」の嗅ぎ分けはどうすればよいか。次の格言を銘記されたい。
予期される想像データを書き込んで論文を先に仮仕上げする。(全体にわたって1割程度書いて止める。)それをみんなで読んでみる。データはちゃんとした証拠になりえるだろうか?論文のレベルは充分だろうか?やるべき実験が明確になる。
この戦法は、職業研究者にとっては常套手段。研究費申請書などの目論見書(=実測データが無いことを除いては実質的な論文)を書いてから、証拠として必要かつ充分の実験を行う。
(ランドシュタイナーだけでなく、渋谷陽一も「架空インタビュー」というのをやっていた。これが読者にうけた。単なる予想をはるかに超えた、詳細まで詰めて考えた想像は、価値がある。)
しかし、この手間を省く人が多すぎる。大学では、卒論開始後半年ぐらいすると中間発表会なるものが開催され、それまでの進捗を発表する。このときに想定架空データを書き入れないと、無意味である。「想像の段階だが、詳細はこうなると思う」と主張しよう。
実験で事前予想に反する結果が得られることがある。これは好機である。実験のやり方がまずいか、自分の立てた仮説がまちがっているかのどちらかであり、これを直していく努力こそが本当の研究である。優秀研究とは、「なんでうまくいかんのか?どこまで考慮の範囲を広げるべきか?この場合はどうなのか?」と突き詰めている。 (大島弓子の『雛菊物語』はそんなマンガ。)
「自然の真理を知りたければ、優しく尋問してもだめである。自然を拷問にかけるべし」(ロジャー・ベーコン)
極端な例にて実験した方が、平凡な条件で実験を重ねるより、真理が露呈しやすい。「ともかく、ちょっと実験してみるか」と思ったら、まず極端な実験条件で試してみるべきである。メートルをミクロンに、グラムをトンに、一部を全部に、プラスをマイナスに、欠乏を過剰に、etc。
小樽港百年耐久性試験のように、19世紀から現在まで続いている実験がある。データが素晴らしい研究である。速戦速勝といっても、実験期間そのものが短かければいいのではない。無駄なことを実験しないで、価値のあることを追求することが良い。(類例:ラボアジエは水を101日間煮続け、四元素説を覆す。)
「林檎は、まあ三メートルか四メートルの高さから落ちたのだろうが、ニュートンは、それが十メートルだったらどうだろう、と考えて見た。だんだん高くしていって何百メートルという高さを考えて見たって、やはり、林檎は重力の法則に従って落ちて来る。とうとう月の高さまでいったと考える。それでも林檎は落ちて来るだろうか。偉大な思いつきというものも、案外簡単なところからはじまっているんだね。ニュートンの場合、林檎を、頭の中で、どこまでもどこまでも高く持ち上げていったら、あるところに来て、ドカンと大きな考えにぶつかったんじゃないか。」(吉野源三郎、『君たちはどう生きるか』)
「みんなと逆のことをやれば、だいたい正解である。大多数の人間は間違っている」(マーヴィン・ミンスキー。金出武雄「素人のように考え、玄人として実行する」より)
先輩や専門家が口を揃えて「そんなのは無理!」ということは大抵、なぜか、実現可能である。
(もっとも科学史は残酷であって、輸血実験を自分に施して死亡したボグダーノフ農相の例のように、死屍累々の期間もある。)問題の前提を洗い直すことがコツである。例えば、永久機関は不可能であるが、実質的に同等な無料機関(太陽電池駆動や自動巻時計など)は可能である。
さらに、技術の進歩はすさまじく速いので、既に正攻法で解決可能な問題であっても、不可能と見なされたままのものも多い。
「あぁ、出来るんじゃないの〜」と言われる研究テーマは、既に誰かが先に手をつけていたり、レベルが低すぎて論文にまとめられないことが多い。難題テーマで討ち死にしてもその報告論文は、「こうすると、どうしてダメだったか」が分かり、科学的価値がある。平凡テーマで他人に先を越されると報告が成り立たない。
【豆知識】 国産陶磁器の国宝は5点しかない。その一点、国宝「秋草文壺」は、平安時代の作の骨壷で、平凡極まりない。国宝というと、野々村仁清、姫路城天守閣、空海の真筆、長谷川等伯の松林図屏風などのレベルであるのに、この壷は地味すぎる。実はこの壷、当時の世界(日本・中国)の常識に反して、意匠化されていない写実的な秋草の絵が描いてあり、画期的であるから国宝なのである。
この理由のため、一旦ボマシやモザイクをかけた画像は、元の鮮明な画像に復元できない。
これは数学のペーパーテストを解く際の常識的テクニックである。数学の成績がいい人は、こんな考え方をしやすい。
2)【必要に迫られて】 工学の特定の題材では、等式の数が不足することがある。この場合、数式に違反しない何かテキトーな数値を、コンピュータに自動ででっち上げさせたい。(人手でやると面倒なので。)
3)【精密に解く】 金出武雄教授は、ボカシ画像やモザイク画像を精密に復元する方法を開発した。(どのようにして解いたかは、ひとまず置く。考えてみてください。)
肝に銘じるべきは、しょっぱなに玄人発想に陥ると、研究する前に諦めてしまうことである。
他人に「理論的に不可能」と言われようが、絶対にできると確信できるかが最難関である。確信できれば、誰でもそれなりに考え始められるのではないか。
「回り道をしているように見せかけつつ、実はゴールに先着するように策戦を立てろ」(孫子)
接着剤の研究をしていたが、接着力が弱いものができてしまった。じゃ、Post-itの接着剤にしてしまえ。(実話)
もしあなたが作った実験系が、湿度の変化に敏感で挙動不安定のため、実験に失敗したとする。ならば、現象と湿度の関係解明の研究にしてしまえばよい。
『湿度は統制できないが計測できる状況で、実験を繰り返し、関係を明らかにする』などが善後策として考えられる。)
「あれもこれもやる」という実験は、やってみると難しすぎることがある。作業全体は追わずに、不明確な部分の探求に限って実験し、成果を手堅くまとめた、一見地味な研究が、後の世で評価される研究であることも多い。後追いで研究に参入してくる人が、絶対に知りたがるデータを残すことが大切。
鉱石(金属を多く含む石)は、部分的に電気整流効果(電流を一方向にしか通さない)を備えることがある。天然のダイオードである。むかしの鉱石ラジオは、この天然ダイオードを使っていた。整流効果があるところを探して針金を当てるという調整を行う必要があるので、鉱石がむき出しになっていた。
ある研究者は、整流効果が生じている接点の周りでは何が起きているかを調べようと思った。そこで、接点のまわりに電圧計の探針を当てて、電圧分布を調べようとした。
しかし、この観測を行うことで、主現象本体が乱されてしまい計れなかった。応答が極めて不安定であった。
pnpトランジスタの記号は、この実験の様子を写実的に描いたものである。(実際には鉱石ではなくゲルマニウム結晶を使用。ゲルマニウム結晶は三角形の形に切られていた。探針も改良のすえ、切断した金箔を使うアイデアにたどり着いた。)
本研究が世界に及ぼした影響は・・・。トランジスタが特許化されなかった理由は・・・。トランジスタの発明者は誰になるだろう?
A:考えを明晰化することです。「なんとなく」、「たぶん」、「出たとこ勝負」、「憶測だが」、「類推して考えれば」というアヤフヤな考えを、ハッキリさせることです。難しい用語を使ってレトリックでごまかすこととは正反対です。
A:それまでに誰もやっていない学問を行うことです。新奇な題材を学問するパターンがひとつ。また、ありふれた研究題材であっても、前人未踏のレベルまで考えを明晰化するというパターンもあります。題材の応用先を広げるという形もあります。
A:ネタが思い浮かばないなら、ニコ・ティンバーゲンの「四つの問題」に沿って考えるのはどうでしょう。
【存在意義を考える】 それにはどんなメリットがあるか? メリットとデメリットのバランスはどうなっているか? それが生まれた理由や継続している理由はどのように説明できるか?
【メカニズムを考える】 それは、どのように運営されるか? 要因や因果関係はどうなっているか? 一手一手はどこまで細かく分析できるか?
【習得を考える】 それはどのように習得されるか? 経験と性能との関係はどうなっているか? 教育方法や導入方法はどうなっているか?
【変遷を考える】 それは昔はどうだったか? 未来にはどうなるか? どうすればより良くなるか? 何を淘汰し、何によって淘汰されるか?
研究における現代の悲劇のひとつに、グラフ作成が機械任せなったということがある。機械任せのズサンなグラフを見ることが多くなっている。
なぜ、最大最小点を追求するかというと、まずそれは実用上重要であるし、また関数の同定に決定的に重要であるからである。
導関数や2次導関数がしっかり計れれば、かなり精密な現象把握ができる。
以前のグラフと同じデータを共有しているとは思えないほど、見違える出来になっている。
“単価”や“単位当たりの量”をプロットする場合は、片対数グラフを使うのが正しい。通常のグラフだと、単価100円から110円へ増加と、10000円から10010円への増加とを同一視してしまう。これでは不都合である。
データXとデータYとの関係を観察したい場合は両対数グラフを用いる。両対数グラフの上で近似直線を引けば、相当正確な関係式を推定できる。
昔は、「片対数グラフ」も「両対数グラフ」も専用の用紙が売られていた。ただ、正確で精細な印刷をする必要があるので、わりと高価だった。最近はパソコンに取って代わられ需要が激減し、あまり売られていない。
しかし、私もいろいろグラフ作成ソフトウエアを使ってみたが、対数グラフに関して言えば全部落第だった。1, 2, 5, 10, 20, 50, 100, 200, 500 という系列で補助線を引けるソフトにお目に掛かったことが不幸にしてない。(探せばあるだろうが、対数グラフは探すほど珍しいことだろうか?)
ソフトウエアによるグラフは、どうもにめちゃくちゃなので、グラフを清書する上で障害になっている。
ノートは、大きさはA4版、ページ数は100ページ(=紙50枚)、紙はフールスキャップ紙が最適である。横罫でよい。方眼罫のものは紙質が劣ることが多い。
特許係争やデータ捏造事件を受けて、研究ノートを組織が管理する時代になってきた。いわゆるLaboratory Notebook は専用に作られたものである。堅牢にできている。ページ番号が振ってある。方眼罫である(やはり紙が薄い)。重くて持ち運びに面倒なのが難点(機密のノートを持ち運ばせないための工夫とも言える)。一般文具店での入手は困難だが、大学の文房具売り場には置いてある。まぁ、研究室の方針でこれを使えと言われれば使わざるを得ないが、普通のノートでも充分である。
ペンは、筆圧が軽くてすむもの。直液式ボールペンか、3000円ぐらいの万年筆がよい(安いものや高いものは酷使するに難がある)。色はブルーブラック(印刷の黒と自筆部分の見分けができる)。
研究室に来たら、パソコンの電源を入れる前に、ノートを開き、仕事のリストを書き出して欲しい。なし崩しに取り掛かるのでなく、間を持たせることが重要である。わびさびの世界である。
データの保存を、パソコン上だけで済ますのは安全ではないし、考えたことや、データ価値への見解と、一緒に一覧できないという不便がある。せめて、グラフや代表値(平均と標準偏差)ぐらいは、ノートに貼っておこう。
文法的に完全な文を書く必要はない。キーワードを、線で結んだり、丸で囲むことで、思考を2次元的に展開する。
※ (2)〜(6)を、一冊のノートに毎日ドバドバ書いていく。なまじノートを分冊して分類するより役に立つ。
※ 使ったページの肩を切り欠くと、書き始めるべきページの探し出しに便利である。パラパラめくらないですむ。これはノートの耐久性を著しく向上させる。
アイデアの発想法は様々提案されているが、私の経験からして一番効果があったのは、散歩法である。アリストテレス、楳図かずお、両先生ご推薦である。
散歩は、血流を増大し、神経伝達物質を調整し、副交感神経を昂進させリラックスさせる効果がある。こうして前頭葉の活動を柔軟かつ適度に活発にする、のではないかと私は思う。
寝入りの時にも、副交感神経が昂進する。(喘息発作の原因ともなる。)このため、寝入り時にもアイデアがよく浮かぶ。内崎巌先生曰く、枕元に紙とペンを置くようになって、寝ては思いついて起きを繰り返すようになると、それは“研究中毒症状”である。過労死しないように注意。
欧陽脩は、アイデアが浮かぶ場面は「三上」であると言う。それは、馬上、枕上、厠上であって、要するに乗馬(=散歩)、寝入り、便所の三場面である。副交感神経の昂進が起こる代表的場面である。
考えるべきことをメモ書きする。キーワードを矢印や線で結んだ、チャート図の出来損ないみたいので充分。字は汚くてよい。
もうひとつ有力な発想法は、「人に教える」ことである。煮詰まっている問題について、他人に向かってレッスンする。レッスンといってもあまり格式ばらなくても良い。自分の考えのデバッグができる。
「俺は幅跳びの名人だ。ロードス島では誰よりも遠くへ跳んだ。大勢が見ていたから、証人になってくれる奴もいるさ。」
工学部X号館XX教室。教壇にスクリーンが設置され、プロジェクタでパワーポイントを投影する。最前列に審査員の教官2名。机には、発表の点数をつける名簿と、卒論の製本原稿、タイマーとベル。その他の席には、審査を待つ学部4年生がぎっしり。みな緊張している。最後部の壁際には、見物にきた研究室の先輩達がちらほら。
教官「えぇ、これより卒業論文諮問を執り行う。順番が来たら速やかに発表を開始するように。機材の調整のための時間のロスも、発表時間に含めるので注意すること。発表時間はきっかり15分。時間が来たら途中でも発表を打ち切ること。質疑応答はその後5分間である。聴衆も質問をしてよい。よろしいかな?では1番!」
学生1「はい、学生番号1番の△△△△であります。私は「無限軌道を用いた陸上空母の移動機構」について発表いたします。まずは、ビデオをご覧ください・・・・」
こうした機材関係のトラブルは例年のことである。卒論執筆に追われて、事前のリハーサルをする余裕がないのだから。
学生2「今後の日本の社会構造から致しまして、オンデマンド生産の購買層が増加する傾向にあるといえます。ところが従来の小売物流部門においては、物主体の販売戦略がとられ、情報の非対称性が・・・・」
学生4「本システムでは、ラジアル方向の密度勾配を仮定しておりませんので、タイムインバリアントなニュートン流体に限っていえば、センサを配置することも可能です。圧縮性流体では…」教官「YESかNOか!」
対策:どんな質問でも、回答はまず5秒で収まる反応を言う。“はい”、“いいえ”、“実用上はYESです”、“理屈の上ではYESです”、“今回の研究では無視しています”、“正確な答えはちょっと長くなりますが・・・・”、“するどい質問です”などなど。その先は、質問者の顔を見ながら、対話する。顔を見ながらの対話は、質問者が求めている答えに導いてくれる。
悪いプレゼンは、結論を導こうとする。「結論が遅い!それは理屈だ!だから何なのだ!」と言われる。とっても寝やすい。盛り下がる。
良いプレゼンは、メッセージ(結論)で聴衆を挑発する。テーマの宣言がほとんど冒頭。好奇心を煽る。なぞなぞ的。盛り上がれば勝ち。情報伝達ではなく、聴衆に思考させることが真の狙い。オシム語録。
「この本は、既に似たようなこと事を考えたことのある人以外には理解されないだろう。だから、この本は教科書ではない」(ウィトゲンシュタイン)
昔の音楽は単純な繰り返しが多い。まぁ、飽きる。バッハの「シャコンヌ」のテーマは冒頭を占めて以降は、このテーマを中心にして複雑に変化し、しかも全くぶれない。論文も研究人生もこうありたいものである。
なぞなぞと言えば、いわゆる“複式夢幻能”はその最たるものである。前半に明らかに怪しい人物が登場し、後半でそれが何かに化けるというお約束である。怪しすぎるので「志村、後ろーっ!」と言いたくなる。前後場の間で事情を説明する“アイ”という役が登場するのだが、この人、前場から舞台にもともと座って、じっと待っている。こんな人も怪しい。怪しい人物の配置は、連載モノの漫画やアニメではお馴染みの手法。
怪しげなモノを中心に置いて、それを中々説明しないという方法は、おもいっきりテレビなどでも見られる。
タモリさん、高橋さん、八嶋さん、こんばんは。最近、アニメを自主制作していた時に思ったのですが、自動でBGMは作れないのでしょうか?
つまりこうゆうことになります。アニメの画像特徴とセリフを元にして、自動作曲アルゴリズムを走らせると、○割の人に受ける。
まあ、従来の画像編集ソフトは無難な曲を選ぶ方法で満足度3割だから、この方法なら6割じゃないかな?
アニメに詳しい兄山先生に聞いてみた。アニメの場面は、緊張、のどか、快、不快の4類型から成り立っています。類型は画面の色やセリフから分かります。それらを作曲アルゴリズムの入力とすればそれなりにふさわしいBGMができると予想されます。
題材は標準的なアニメ、木直田まさし著「ソツロン君」を使うといいでしょう。この場合、20人に評価してもらえば、充分確かな証拠が得られると思われます。
実際にやってみた。作曲アルゴリズムにはクセナキス型確率音楽生成ソフトを製作。実験条件は、3種類を用意。(中略)良いと評価した人は20人中14人だった。
こうして、また新たなトリビアが生まれた。アニメの画像特徴とセリフを元にして、自動作曲アルゴリズムを走らせると、7割の人に受ける。
キャラの顔表情も考慮しれば、もうちょっと点数上がるよね。シリーズ化して時代劇でもやってみたいね。
なかでも、「トリビアの種」の様式が使いやすい。難しい理論に感心するのではなく、「やってみるとどうなるか」という知識欲の興奮がメインになっている。直感的に感動してもらえる発表にすることが肝心である。
発表時間について。「トリビアの種」は正味10分もない。学術発表で10分というのは、限界ギリギリの短さである。テレビのプロは如何に巧みかが分かる。学生も、この域に達するべきである。1秒を惜しむ気持ちで、細部までこだわって発表資料を手直し、練習を重ねること。特に下記のことを心がける。
基本: 発表スライド草稿を見て、テレビ番組ならここはもっと直感的なテクニックでプレゼンするのではないか、と疑ってみる。
内輪にしか通用しない用語や略語の排除。漢語から大和言葉への言い換え。話し言葉では、例えば、「性能が高い」→「出来ばえが良い」としたほうが、スッとわかりやすくなる。
なお、発表のテクニックは、先生ごとに意見の分かれるところであって、研究室ごとに流儀がある。(複数の研究室を経験する意義は、ベターな発表方法を習得するという点にもある。)
例えば、「目次」のスライドをわざわざ見せる流儀の先生もいれば、目次不要論・目次有害論の先生もいる。学生は混乱する。
ちなみに私は目次有害論者である。あれは「カイシャのジューヤク会議」の流儀であって、「社外向け戦略的プレゼン」とは言えない。
山本周五郎の「樅ノ木は残った」の冒頭を読んでみてください。無予告、無説明、暗闇の中の強制的進行が、どれほど聴衆の関心をつかむか。
「僕たちは、街行く人が足を止めてくれるように、できる限りのことを全て行って、一枚のポスターを完成させた」(ウラジミール・ステンベルク)
1942年、ニューヨーク。キャパは仕事が無く、空腹のまま、アパートで寝ていた。目覚めると、ドアの下に三通の手紙が差し挟まれてあった。
一通目は、電話会社からの料金督促状。電話が使えなくなった。金が無いからしょうがない。
二通目は、司法省移民局から。ハンガリー参戦につき、キャパを敵性外国人とし、行動範囲を制限する。写真機の所持も禁止。
三通目は、雑誌編集部から。貴殿を当社専属の報道写真家として雇用し、ヨーロッパ戦線の取材を依頼する。支度金同封。船は48時間以内に出発の予定。
敵性外国人が取材できるわけはないが、金が無いので返事もできない。支度金に手を付けて、朝食を食べちゃった。さて、どうしよう。
役人に、この三通を何も言わずに見せた。一通目は移民局からの通告。役人は無表情。二通目は雑誌社からの手紙。ニヤリ。三通目は電話会社からの通告。さて、どうしましょう。
打開すべき状況。解決への障害。解決への糸口。これらを説明しきっている。四の五の言わずに説明できるものなのだ。(出来すぎである。おそらく創作だろう。)
饒舌を戒め、淡々と三枚を見せるだけで、「それからどうなった?」と気になってしょうがないプレゼンである。
ダンスの“まことクラヴ”の公演で、舞台に本物の営業中のタクシーがやってきて、ダンサーがそれに乗って去って終わりというのがあった。あ、ネタバレか。
今思い出したが、東大には駒場小劇場というハコがあった。この劇場は駒場寮の中にあり、東大最強と言われた寮委員会が支配していた。外部からの統制は不可能であった。
寮委員会は、寮の美観や耐久性をすでに見切っていて、壊れる前に使い倒そうという方針があったように見えた。舞台に水を張って芝居をするなど、普通の劇場では絶対に無理なことが出来たらしい。
駒場にはアゴラ劇場があるし、下北沢や渋谷へは歩いていけるが、こういうハコは外には無い。
あがること、つまり不安神経症の克服には、「フランクル回想録」や「死と愛―実存分析入門」に書いてある方法がおススメである。
手順その1【不安の正体への洞察】: 「不安感情を持って発表を行ってはならない」などと一体誰が決めただろうか?「一字一句、言いまちがえてはいけない」という法律でもあるのか?
手順その2【逆説的自己暗示】: 「私の発表はぎこちないだろう。いままでも、そうだったのだから。今日もそうなるだろう。緊張で舌が回らなくなる!汗が滝のように出る!よし、今日は1リットル汗を流してやる!聴衆がびっくりして凝視する!そこへたたみかけるように、支離滅裂な説明をぶつけてみる!思わず、『とにかくゼータ関数の非自明な零点がナッシュ均衡を意味するのです!』と口走ってしまうに違いない!救急車が呼ばれる!でも俺は止まれないだろう!どうだ、まいったか!人間がどこまでプレゼンでトリップできるか、見せ付けてやれ!」と自己暗示をかける。(映画「ビューティフル・マインド」より)
効き目はあるの?: 「フランクル回想録」によれば、尋問中の親衛隊将校に教えてあげたら効いたらしい。そのお礼なのか、フランクルの家族は、最後の番で、強制収容所送りになった。
「ある広場恐怖症患者は、家を出るときに玄関の鏡の前で、自分の姿に向かって帽子をあげて、『では私のノイローゼと一緒にこれから出かけてまいります』といって自ら笑ったという。このようにして、症状に対して態度を変え、距離をとることができたのである。」(フランクル「死と愛」)
残念ながら、自然科学研究にからんだ不正行為は、規模の差はあれ、ある程度の割合で行われていると考えられる。実際、大きな事件なら年に2〜3件は新聞沙汰になっているし、小さな事件でも米国では不正を監視する役所(医学生物学関連のみであるが Office of Research Integrity, ORI)が不正調査結果を公表している。
卒論研究は教育訓練であり、研究成果の質は問われない。(「何を考え、何をやり、何が起こり、何が分かったか」を報告すれば満点である。)したがって、本来は不正をする理由はあまりなく、学生の見栄程度である。しかし、卒論→口頭発表→学会誌発表→学界的権利化(研究資金の申請、学生の進学先や仕事のポスト探し)→金銭的権利化(特許や製品化)と進んでいくと、不正への誘惑が増し、事件性も帯びてくる。
盗用:他人の努力を自分のものにする。貢献していない人が執筆者リストに入る(幽霊著者、Gift
知的財産権の窃盗:アイデアを考えついた人に発明の権利が付与されるという法を破ること。職務発明は慣例や法解釈が変化しつつあり、青色LED裁判などで注目されている。学生の発明については、学生の権利保護のための制度化が遅れている。
不正が露見すると、対外的信用失墜、就職取り消し、研究資金申請の禁止などの罰が待ちかまえている。研究者としては事実上の死である。
しかし、不正を実態的に防止するための、取締り法・規則、不正告発を受け捜査する専従組織、業績の正当性を保証する学会制度、研究者の意識などはかなり不十分である。ばれない、すぐにはばれない、ばれたとて大したことないと、制度の不備が誘惑を助長している向きもある。
「嘘をついてもどうせ追試や実用化段階でばれるから厳重な検査は無用」と楽観して、どこの国でも防止策がまじめに考えられてこなかった。だが現実の事件に多いのは、
「データの偽造ではなく、正当なノイズ処理なのだ」(事後にノイズ処理法を選択してはいけない。実験前に処理方法を確定しなければいけない。不利なデータの存在を隠してはいけない。)
「たまたま今回の実験では調子が悪かっただけで、理論上はうまくいくはずだから、願望のデータを書いてもいいのだ」(だったら実験をやり直せ。投稿の機会は後にいくらでもある。)
また厳格査読を誇るNature Medicineといえども、チェックできないことも分かる。医学関係などの現象は、理論による完全説明が難しい場合があり、そうした分野では査読は困難になる。(理論づくの物理学ですらウソの論文が Science 誌に載ったりする。ベル研究所超伝導捏造事件(2002年))
しかし、著者14人はかなり胡散臭い。編集部はその点を追及するべきだったが、してない。
2005年9月14日の新聞報道によれば、当時、東大教授でまた産総研センター長でもあった研究者が、Natureなどに発表したRNAの研究論文に正当性の疑いがあるとのこと。生データ(計測ホヤホヤで未加工のデータ)が提示できないというから、願望データかしら。数年にわたり12本もの論文を願望データで作れるものなのか。教授は「担当者は再実験できると言っている」と言っているらしいが、これは“幽霊著者だったのは認めるから、トカゲのしっぽ切りさせて”作戦。(「私が実験した時はそうなった!私は見た!」と徹底抗戦するのが筋。責任著者なんだから。一流誌に載るほどの優れた実験結果なら、著者でなくても「現物を見せて!やって見せて!」となるはず。研究員とボスは、実験机の前で現物と研究ノートをつつきながら議論すべし。)
トップの科学者による一流誌上での捏造論文事件例はきりが無い。ウンウンヘキシウム元素捏造事件(2002年)、
個人の不正行為だけでなく、学界に風潮自体にも問題がある。トップ・クォーク発見論文
こうした不正を助長する大きな要因に、論文の著者リストのシステムがある。貢献と責任の順に著者を並べるのであるが、順序だけならごまかしが効く。(この点、米国特許庁は厳格で、幽霊発明者が混入している場合は、特許を取り消す。)本来なら、映画のエンドロールのように、○○さんは何を考え付きました、□□さんは何を計画しました、△△さんは何を発見しどう解釈しましたと、説明を伴って記述すべきである。(最近、新聞や雑誌上で、論文捏造の防止法について、いろいろな意見が提起されている。だが、著者リスト制度を改めるというシンプルな意見は見受けられない。ここが急所だと私は思うのだが。)
誘惑は常にある。研究指導者は、学生がデータにごまかしをしていないか、かなり厳重に監視する必要がある。
誘惑にかられている学生は、無理をすることはない。不成功なら不成功なりに報告すればよい。「どこまでは目論見通りにいった」と発表できる。(そもそも、大抵の研究発表とはそんなものだろう。成功か失敗かは世間への影響を見てないと本当はわからない。)1年や2年、留年して研究をまっとうに仕上げる道もある。研究室を変えるもの楽しい。中退でも高学歴である。不正はネットにいつまでも書き残されるのでキツイ!
研究者の成果評価の方式も変わろうとしている。かつては一流論文誌に多くの論文を掲載することだけが評価された。Natureなどに載ったら万々歳だった。インパクトファクターなる数字が持てはやされた。過騰競争だった。だが事件に見られるように、この評価方法は(細分化された科学の論文は査読が難しいため)信頼性に乏しく、誘惑も大きい。今は、研究の実用化、実社会の問題への学者の参画、出版やメディア露出、一般人を巻き込んだ活動など、世間のお役に立つこと・影響を与えることを評価するように変わりつつある。「料理を作ったら、自分で毒見して、自分で売ってこい」というわけである。この評価システムで、効率が良いか、精度が高いか、学者像としてどうなのかは分からないが、しょうがない。
中尾政之、「失敗百選」、森北出版、2005年。(倫理問題の章で、企業と学会がグルになって競合他社を倒産に追い込んだ事件が載っている。)
「わたしは学者業をつづけておりますが、この種の職業では広く他人の教えを受け、他人に自分をさらけ出さねばなりません。だからこの職業には、秀才意識は邪魔になります。」(森嶋通夫『学校・学歴・人生』)
学会によっては、この方法が多数派になっているところがあるので深刻である。これはなんとデータの改竄に当たる。世間にあまり知られていない、データ改竄形態なので、特に注意を要する。
一般的に、サンプル数を膨大に増やせば、厳しい有意水準でもクリアしやすくなる。安易である。
有意水準を複数用意する研究者は、自分の期待する結果を“統計的に確認した”と発表し、自分の期待に反する結果を“有意ではなかった”と黙殺する偏見効果が生じる。
なぜかというと、「あともう少しで予想どおりの結果になるのに」と思っているなら、ゆるい有意水準(p<0.05など)を論文に書いてしまえばよい。
「これは予想に反するかもしれない」と思える傾向については、わざわざゆるい有意水準を持ち出して、「私の予想に反する傾向が無くは無いです」などと論文を混乱させるのはバカバカしい。しらばっくれて、厳しい有意水準だけを論文に登場させるだろう。
一つ一つの論文だけに限れば、この偏見効果は明確には見て取れない。しかし、何本も発表するうちに、その研究者にとってやっかいなデータだけを黙殺する偏見効果が、明らかに表れる。
予備実験と本実験の二段構えで望む。まず、予備実験を行い少数のサンプルを得る。そのデータから、ノイズの大きさを観察し、本実験で必要なサンプル数を割り出す。
予備実験のデータの役割はこれで終わりであり、論文の結論の支持には用いてはならない。予備実験のデータを本実験のデータに統合してはいけない。
性質上ノイズが多い実験や、コストが高くサンプル数が増やせない実験に対して用いることが許容されている。
強い結論を導いてはならない。理論的に充分裏付けがあり、不自然さがない“データの傾向”を検証することに用いる。
サンプル数を多くできるなら、それに越したことはなく、初めから有意水準1%を目指すべきである。
一旦実験を行って、有意水準1%の基準をクリアできなかった場合は、本実験を最初からやり直しを行うこと。サンプル数を追加してクリアしようとしてはならない。サンプルの継ぎ足しは、自分の予想だけをひいきしており、差別待遇になる。
また、実験後に有意水準を5%に引き上げて甘くするなどの行為も、同様に不正である。結局、予備実験で必要サンプル数をしっかり見積もることがポイントである。
データの傾向から逸脱するサンプルが極めて少ないことを主張する場合に選択する有意水準。品質管理などで用いる。
決して、データの傾向が持つ威力を示すために使うものではない。再現性と威力は別物である。
キングスレイ・ウォード、「ビジネスマンの父より息子への30通の手紙」、新潮文庫。
技術者の能力のピークは28才で、技術者としての定年は35才。嗚呼、早い。三十路を過ぎると理系能力と体力は下がる。理系の人は、物相手の実験は好きであるが、実は人付き合いが下手で、技術屋の殻に閉じこもりがち。仕事の総合的企画推進能力を培っていないので、35才からの上級職出世コースに乗れない。狭い日本に、土地は輸入でき、実際輸入しているので地価は下がり続ける。などなど。
実験の進め方から人生設計(転職・留学・離婚など)までカバーする本。論文で何を書くべきかが自ずから判る。
若くして大成した人たちの、知られざる波乱の青春を取材したもの。人生は選択の連続で、大学を選ぶ、研究室を選ぶ、研究テーマを選ぶなどは、いずれも重大なギャンブルである。そこで成功する人には、ある決まった性格傾向があることが、本書を読めば判る。
入学試験はペーパーテストで平等主義なのに、就職採用は全人格的評価で縁故主義。学歴とは何の役にどれほど立つのか考えさせる本。「大学院」という名前の上級学校を、目の前にぶら下げられると、本当は学問嫌いな人でも進学したくなる、とか心理学的な考察もある。
「学者となるに必要なのは金と運!」と冒頭で宣言している。そうです。そのとおりです。経済力の無い学生は、大学院生活でかなり不利だし、運の無い学生は学位が取れない。どうすれば学者になれるかを考える本。本書は講演の書き起こしなので短い。
IBMの経営立て直しの話。研究成果が即製品になる企業がいかにして転落し、復活したかが書いてある。社会人の存在とは顧客によって定義されることを認識させられる。
企業勃興期の経営者と社員の群像。経営論、社会人論である。冒頭の山口瞳の就活噺は爆笑。
裸一貫の話。ビジネス事例集としても利用できるが、前半のボランティア活動のくだりが核心である。
“公正な”競争と、私的独占(=違法)と、特許(技術)による独占(=合法)は、どこで区別をつけるのか。企業の法令遵守(コンプライアンス)とは何か。安泰な大企業がなぜわざわざ法律違反をする(したと問われる)のか。企業や経済とは何なのか。情報はそもそも独占的である。技術という情報とコンプライアンスは共存できるのか。
「経済法で言う公正とは?」=「公益(その商売で世間全体が得る効能)が、私益(事業者が得る利益)より充分大きいこと」。この定義は国語辞典での意味ではない。だが“公正”でない商売は違法になる。キビシイ。多くの経営者が認識していないのも無理はない。
留学してみる? まず、「青春漂流」の田崎真也の回を読んでみる。次に、大型書店の留学関連書コーナーで立ち読みしてみる。
誰かが「俺、今日が誕生日なんだよね」とポロッと言ったら、すかざすウエイトレスがケーキを持ってきた。店からのプレゼントである。スバラシイ。お互い米国では民族的にも思想的にもマイノリティなのは気にしないことにしよう、という結論になった。
店を出ると、そこはダウンタウンなのに(or なので)ゲイ・ストリート。HGのかっこをした人が巷にあふれていた。そんな米国社会。
(大学当局の能力・気合い・使命感がすごい。大学が“非教員・非研究部門の専門職員”を大量に抱えているのが分かる。日本とは、かけはなれている。)
手塚治虫、「マンガの描き方」、光文社知恵の森文庫。文章構成法についての言及が全体の3分の一をなしている。さすがに名人が書いただけはあって、おそろしく正統的でしっかりした実用書であり、かつ独特の着眼点を持った奇書である。
おっしゃったことテープに録音して、タイプしました。この文章に微調整して論文にしますね。
(1) 自分の意見を簡単に撤回してはいけない。なんでも「はい、そうします」と答える人間に、学生としての資格はない。金出氏曰く、「自分は研究テーマについて何ヶ月も考えてきた。あなたはそんなに長時間は考えていないはずである。すると、あなたの意見が正しくて、私の意見が間違っているということは、おかしい」。(2) 「起承転結」は漢詩の作法です。科学論文の執筆には絶対に使わないように。漢詩愛好者の私が言うものなんであるが。
牀前看月光、疑是地上霜、挙頭望山月、低頭思故郷。(李白 静夜思) こんな感じの論文ではロジックが活きてこない。
章にせよ節にせよ段落にせよ、最初の文は、それに異論や別段の興味が無ければ、以降を読み飛ばして構わない約束に、論文ではなっている。「春はあけぼの。」に異論が無ければ、「夏は夕暮れ。」にスキップして読んでもよい。
「私はこの論文を感傷的にならないように努力して書いている。それでもなお、真理を書いたつもりで、グチを並べているだけではないかと不安になる。」(スタンダール、『恋愛論』)
この文章は実に多くの方々からのご支援があってこそ出来上がったものです。ここに深く感謝いたします。
私は、東京大学の佐藤知正教授の研究室で、修士から博士課程まで在籍し、ご指導を受けました。研究に関する考え方は佐藤知正先生からの影響が一番強いと思います。この文章も佐藤理論の亜種のようなものです。
さらに、現在の上司である金出武雄博士からご指導を受けられるという幸運にも恵まれました。このページには金出理論のごくごく片鱗しか紹介できなかったのが残念です。
私の卒論は、今はテキサス大学に移られたNigel Ward 教授にご指導いただきました。漢字かな混じり文を素読する米国籍コンピュータ科学者(しかも若い)というのは、ただ驚異です。このページを作る動機は、Ward先生が持論とされている研究マネジメント論に憧れたからです。Ward先生はACM
三先生の生の声は、下記にまとめられています。私が何をどう吸収したか分かると思います。
内崎巌, 佐藤知正, 「創造的技術者のための研究企画―立ち上げから成果確認まで」、日刊工業新聞社。
タイトルに「東大で学んだ」と付け加えた理由は、畑村先生の著書のパロディではなく、東大の先生方から学んだという実態を表すためです。井街宏教授の研究心得は、本当はあと何か条かあったのですが、書き取りきれませんでした。残念です。
必ずしも東大ばかりではありません。ランドシュタイナーの名言は石坂公成博士の「私の履歴書」の連載にあったものです。

【 101】引用元  東大で学んだ卒論の書き方★論文の書き方
URL: http://staff.aist.go.jp/toru-nakata/sotsuron.html

また、HTMLは規格がどんどん拡張され、携帯端末などにとってはフルサポートするのが困難な規模となっています。一方、新しい規格であるMathMLやSVGが続々と登場し、これらを組み込んだ文書型を容易に定義できることも求められています。このため、利用環境に応じて必要な要素を選択して採用できるモジュール化や、他のXML文書との融合(拡張)などもXHTMLの目的のひとつです。これはXHTMLモジュール化仕様[XHTMLMOD]やXHTML Basic[XBASIC]で具現化されています。
XHTMLはXMLとして扱えるわけですから、XSLTで文書を変換するなど、さまざまな応用が可能です。特にXSLTを用いたメタデータの抽出は、誰もがセマンティック・ウェブに参加するための手段として注目すべきです。
XHTML 1.0はXMLのルールに基づいて定義された言語であるとともに、HTMLの新バージョンでもあって、基本的には従来のHTML 4.01[HTML4]と同じ要素で構成されています。XMLとHTML双方のメリットを生かすことができる現実的な規格ですが、HTMLと互換性をとるためにはいくつかの注意が必要です。以下の注意点を守ることで、既存のHTMLブラウザでも、XMLエディタでも、きちんと表示され処理できるページを作ることができます。
XHTMLは、開始タグと終了タグがきちんとバランスし、要素が正しいツリーを形成する整形式であることが一番の基本です。タグを省略せず、大小文字を統一して記述したHTMLは、少しの修正だけで整形式XMLとすることができます。
属性値を全て引用符で囲み(留意点2)、属性名を省略した最小化を行わない(留意点7)
基本的には、もとのHTMLが適切に書かれていればこれだけで整形式XMLとなるはずで、XSLTなどのツールを利用できるようになります。これがXHTMLの第一歩です(HTML4などのDTDには適合しなくなるので、この場合は文書型宣言は書きません)。
XML対応ツールやブラウザは、これによって文書で用いられているタグセットがXHTMLのものであることを認識できます。多くの場合、文書をXHTMLとして標準的に(見出し、段落などの要素をそれらしく)レンダリングして表示してくれます。
適切な名前空間を宣言すれば、他のXML言語の語彙を組み込んでXHTML文書内で利用することも可能です。当サイトの「XHTMLを拡張し、メタデータを直接記述する」を参照してください(ただしこの場合、一般には次の厳密適合にはなりません)。
XHTML文書をスキーマ(DTDなど)に対して検証したり、仕様書に厳密適合させる必要がある場合は、昔ながらの文書型宣言を置きます。また、一般にXML文書はXML宣言で始めることが推奨され、特に文字コードの扱いによってはこの宣言が必須になることがあります。これらを加えたXHTML1.0適合文書は、次のようなものです。
スキーマに対して検証を行ったり厳密適合を求めたりする必要がなければ、4.の文書型宣言は特になくても構いません(その場合は、1.の適切なDTDというものも曖昧になってしまいますが)。単純に整形式にしてツールを利用するだけならば3.の名前空間も省略可能ですが、これでは広く認識されているX/HTMLを使うメリットもなくなってしまうので、これは記述しておく方が賢明です。
XML宣言は文字コードがUTF-8もしくはUTF-16以外の(かつサーバーからの応答ヘッダなどで文字コードを示していない)場合は先頭に記述しなければなりません。
旧版の仕様書の3.1.1にある文書型宣言のSYSTEM識別子は相対URIになっているため、そのままコピーして使うと落とし穴があります。第2版ではこれは絶対URIに改められ、A.1においてDTDのローカルコピーを使う場合の注意が追加されました。
重要なのは、どんなタグの記法を用いれば、HTMLとの互換性を保ちつつXML(XHTML)としての機能を加えることができるのかということです。いくつかポイントを列挙します。
HTMLでは大文字と小文字は区別されませんでしたが、XMLではこれを区別するため、IMGとimgは別の要素タイプになってしまいます。XHTMLでは全ての要素タイプと属性は小文字で定義されたので、タグの記述にあたっても小文字を用いなければなりません(これまで書いたHTMLを書き直すのは大変…)。
また、属性名だけでなく、method="post"等のように、属性値がDTDで選択肢が定義されているものは、その通り記述する必要があります。これらもみな小文字で定義されているので、「タグは小文字で書く」と考えておくのがよいでしょう。
という具合に終了タグを省略することが認められ、それが一般的な書法となっていましたが、XMLではこれが認められません。必ず
のように終了タグを加えなければなりません。内容モデルを持たない空要素を除いて、全ての要素は開始タグと終了タグのペアで記述します。
と書かなければなりません。こうすると古い(新しいものでも一部)ブラウザでは正しく働かないことがありますが、それに対する解決策は示されていないようです。
HTMLとは異なり、XHTMLにおいてはスタイルやスクリプトも#PCDATA(字句解析を受けるデータ)として定義されたため、< はタグの開始と見なされ、コメントした内容は無視されることになります。たとえばJavascriptで数値の比較をするような式を記述していると、XHTMLではエラーになり、スタイルシートを古いブラウザから隠すために
のように記述していると、その定義は無視されてしまう可能性が高いとされています。解決策としては、外部ファイルにスタイルシートやスクリプトを記述することが推奨されています。
XHTMLファイル内にスクリプト要素を記述するときは、不等号などが問題を生じないように、その内部をCDATAセクションとして宣言しておきます。ただし、CDATAの宣言をそのまま書くとスクリプトのエラーになるので、宣言を//でスクリプトのコメントにしておきます。
このCDATAセクションの中に「HTMLのコメント宣言」に相当するものを書けば、XMLの処理には影響を与えませんが、古いブラウザがスクリプトのコードを表示しないようにする効果はあります。
つまり、HTTPヘッダなどで文字コード情報が送られない場合のみ、encoding宣言が必要だというわけです。
Mac版のIE4.5はXML宣言を正しく理解できず、(おそらくデータをtext/plainとして扱って)ソースコードをそのまま表示してしまうという現象があります。文字コード情報をサーバー側で設定できるなら、XML宣言を省略するのが一番簡単です。
ここでは読みやすくするためにXSSI命令のあとで改行していますが、XML宣言の前に不正な改行が入ってしまうので、1,2行目は連続して記述する方がよいでしょう。
これらの対応が不可能な場合、ドキュメントの先頭に適当なコメントを置いておけば、Mac-IE4.5はデータがHTMLであると認識します。
これは厳密にはXMLの文法上誤りですが、実害は少ないので、Mac-IE4.5利用者にも表示できるようにするには一つの方法です。
〔補足〕Mac-IEの4.51ではこの状況は改善されて、基本的にはおかしなコメントなしでも正しく表示されるようですが、逆にディレクトリのデフォルトファイルとしてファイル名を省略して取得するときは、このコメントがあってもソースが表示されてしまいます。Mac-IE 5ではこれらの問題点は解消されています。
新しく書くHTMLはこの基準に従うとして、これまで書いた(大量の)HTMLはどうすればいい? 上記のルールに従ってHTMLを書き換えるのは、ちょっと気が遠くなる作業です。
当サイトでは、いくつかのルールを組み合わせたperlスクリプトをつくって、全ページの書き換えを敢行しました。スクリプトだけでは完全に変換はできなくて、(特に昔書いたダーティなHTMLは)かなり手作業も必要でしたが、ゼロから始めるよりは遙かにスピーディにXHTML対応ページに生まれ変わらせることができました。
参考までに、そのなかからいくつかのルールをピックアップした簡単なスクリプト例を掲載しておきます。ある程度きちんとHTML4に準拠したページを作っていれば、このスクリプトでいい線まで行くのではないかと思います。
*このスクリプトは参考として掲載しているもので、このままでは不完全、もしくは副作用をもつ可能性もあります。ご自分のHTML記述スタイルに合わせて変更の上ご利用ください。
また、タグの入れ子関係や終了タグ忘れ、空要素の「/>」忘れをチェックするには、こんなのも少しだけ役に立ちます。
簡略化しているので、これをパスしたらそれでOKという訳には残念ながらいきません。しかし、すくなくともここでエラーがでたものはW3Cの検証サービス[VALIDATOR]でも確実に引っかかるので、事前チェック用にはなにがしかの使い途があるかも。
つまり、XML文書は「プロローグ」というものから始まり、その「プロローグ」は(1)省略可能なXML宣言、(2)必要に応じてコメントなど、(3)省略可能な文書型宣言(およびコメントなど)、という順序で構成されます。この定義上、XML宣言を記述する場合は、それは必ず文書の先頭でなければならず、その前にコメントなどを記述することは文法違反です。XML宣言の後ならば、コメントは文法上はどこに記述しても構いません。

【 102】引用元  XHTMLの書き方と留意点
URL: http://www.kanzaki.com/docs/html/xhtml1.html


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