冠婚葬祭で恥をかかないための知識やマナー、礼儀などの大辞典です。

冠婚葬祭で恥をかかないための知識やマナー、礼儀などの大辞典です。

結婚式、お葬式のマナー、電報、お祝い、お悔やみなどの参考辞典

最終更新日  2008年 01月 23日

中元とは?

そろそろそんな話しが出てくる季節です。デパートでは「中元商戦」という言葉があるほどで、贈答合戦と言うことでは夏の御中元・冬の御歳暮が2大巨頭ですが、この御中元て何だろうと思ったことはありませんか?
暦に関する古い話しにはたびたび登場する中国の思想、陰陽説・五行説の陰に隠れているのですが「三元論」というのもありまして、これが上中下元のもと。
上元・中元・下元までを三元と言い中国伝来の暦法では年の折り目の日とされた日で、道教の祭日でした。その日付は
当然ここで登場する日付も元は太陰暦の日付でしたから、「十五日」とは十五夜、つまり満月の日付だったわけです。古い時代は満月の時期にいろいろな行事・祭りが行われた形跡があり、これもその一つ。
実は三元が現在のように3つの日付に分かれたのは後世で、初期の頃は暦上の三元とは元旦のことを言ったものです。「三元は、三つの元」と言う意味ですがこの三つとは「年・月・日」のことで、その三つが始まる元旦が三元だったわけです(これが現在言われる三元のように日付が分かれたのか、この辺については調べ切れませんでした。見つかりましたら、後日補足致します)。
元はこの三元の日には夜祭りが行われ、終夜灯籠に日を灯して神をまつった日だったと言います。中元の日は贖罪の日で終日庭で火を焚き、罪を懺悔した日でした。
中国のこの行事は道教の神、三官大帝・・・竜王の孫だそうな。長男は一月十五日、次男は七月十五日、三男は十月十五日生まれだそうです・・・の二番目の神(次男)の仕事が、人の罪を許すことであったため、この神の誕生日にその廟を訪れて罪の許しを願ったことが始まりとされています。
現在の中元(「お中元」?)と言えば品物の贈答が盛んですが、これは中元の日に贖罪の意味で近所に品物を贈ったことに起因するものです(もちろん現在ほど盛んになったのは明治以降の「百貨店販売戦略の勝利」と言う点を忘れてはなりませんが)。
それと中元の日付が七月十五日と言うことで仏教の盂蘭盆とも結び付いた面があります。たとえば「生き盆」という両親が存命中に、その恩に感謝して両親や目上の人に進物を贈る風習がありますが、これも現在の中元の贈答戦への道筋にあったように思えます。
先に書いたように中元以外にも上元・下元があるのですが現在では他の二つは影を潜めています。上元については「小正月」という行事にかろうじてその姿を残しているようですが、下元の日はどこかへ行ってしまったようです。
今年も中元の頃となりましたが、こよみのページを訪れてくださった方は元の意味をかみしめて「贖罪と感謝」の念を込めて「お中元」を贈りましょうね。
ちなみに、「お中元」は七月十五日までの言葉です。これを過ぎると「暑中見舞い」。贈り物の熨斗の記述には気をつけましょうね(関東では新暦が主なので現在の7月半ばまでお中元、関西などでは月遅れで行事を行いますので8月半ばまでですか・・あれ、そうなると暑中見舞いではなくて残暑見舞いになるか)。
マージャンをご存じの方にはおなじみの「白・発・中」がそろって出来る役満も三元論から出たもの。だから「大三元」なんですね。他に「天地人」・「松竹梅」なども三元論の影響を受けた言葉。そういえば「天地人+和」とすると、これもマージャンの役満ですね。マージャンて実はありがたいゲームなのかも?
昔は年始が正月の満月の日、つまり正月十五日だったと言われています。そう考えれば三元(元旦)の名残が十五日にあるのもわかります。確かに新月は見えないのでわかりにくいですから、見てわかる満月を「月」の起点と考えるのは観測手法が未熟だった古代にあっては合理的な考えですよね。

【 137】引用元  お中元(No.0740)
URL: http://koyomi.vis.ne.jp/reki_doc/doc_0740.htm


トップ