冠婚葬祭で恥をかかないための知識やマナー、礼儀などの大辞典です。

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結婚式、お葬式のマナー、電報、お祝い、お悔やみなどの参考辞典

最終更新日  2008年 01月 23日

七五三とは?

七五三は可愛い我が子のお祝いです。七五三のことや、七五三の準備のことなど、七五三にちなんだ情報をここに。
七五三は可愛い我が子のお祝いです。七五三のことや、七五三の準備のことなど、七五三にちなんだ情報をここに。
七五三の衣装七五三のほかにも子供の行事いろいろ七五三の数え年と満年齢
あるDさん家の七五三〜年子の姉弟のお宅あるCさん家の七五三〜子供5人のお宅あるAさん家の七五三〜6歳離れた姉妹あるBさん家の七五三〜2歳離れた姉妹となりの七五三〜はじめに〜
七五三と内祝い。七五三の由来(三才)。・・・などなど雑談記念写真。七五三のスナップ写真で入賞。・・・などなど雑談数え年と満年齢。七五三といえば。・・・などなど雑談男の子の七五三七五三と子供のお祝い。・・・などなど雑談
七五三と内祝い七五三に向けて、親族や友人知人からお祝いを頂くこともあるようです。ちなみに、「初七五三」や「御髪置祝」、「御祝」などと表書きされるようです。そのときのお返しは、千歳飴や赤飯などを内祝いとしてお返しするようです。ただ地域によって違うことがあるようですし、しきたりに拘らないこともあるようですので、内祝い選びでは、近くの先輩パパママに聞いてみるのもいいかもしれません。七五三の由来(三才)七五三の由来について。三才は男の子も女の子も髪をのばしはじめる「髪置き(かみおき)」だそうです。昔は、男の子も女の子も赤ちゃんは坊主頭だったのでしょうか。最近は、赤ちゃんの髪を剃ったりする人をあまり見ない気がします。ですので、三歳の「髪置き」の前に、もう髪はかなり伸びている人が多いですね。七五三と神社七五三の時期になると、神社は結構込み合います。ですので、七五三に当たっては、事前にお参りをする神社に連絡して確認するといいようです。七五三での神社への謝礼は、神社で料金が決まっている場合もあるようです。もし、料金が決まってない場合の相場は、三千円〜一万円のようです。ちなみに、祝儀袋の表書きは「御初穂料」又は「御玉串料」として、名前は子供の名前で書くようです。誕生月に七五三の写真七五三は11月15日です。この日前後で、七五三のお宮参りや記念写真を撮る人が多いです。その一方で、子供の誕生月に七五三の記念撮影を撮る人も結構いるようです。その方が、写真屋さんも混んでいなくて、ゆっくり衣装選びや撮影ができそうで良さそうですね。七五三の費用七五三に関わる費用としては、お祓いしてもらう神社に払うお金と、記念撮影、晴れ着に関する費用、お祝いに関する費用といったところですね。合計すると結構な額になりますので、あらかじめ準備しておきたいですね。お金はかかりますが、子供の成長を祝う行事ですので、きちんと行いたいですね。
記念写真子供が小さいと記念写真の機会が結構多いです。七五三ももちろんその一つです。特に七五三は、きれいな晴れ着をきるので、記念写真は必須ですね。七五三で撮った写真は、親にっても子供たちにとっても一生の宝となりますね。記念写真にはベストコンディションで臨みたいです。七五三のスナップ写真で入賞姪の数え7才(満6才)の七五三のお祝いのときに、お母さんが撮影した写真が、写真展で入賞しました。副賞のおすそ分けを我が家でももらいました。さすが、入賞するだけあって、姪もかわいく写ってましたし、表情も自然で、とても素晴らしいタイミングの写真でした。七五三いろいろ七五三のお祝いは一般的なお祝いですが、お祝いの仕方は各家庭によって様々です。まず、いつ七五三を行うか?また、どこのお宮に行くか?晴れ着は借りるのか?買うのか?和服か洋服か?お祝いを外でするか?家でするか?などなど、形はさておき、皆で子供の成長をお祝いしたいですね。七五三と千歳飴七五三といえば千歳飴ですね。あの長い千歳飴は、七五三ならではですね。七五三できれいな晴れ着をきて、手には千歳飴というのが昔からの七五三の定番の格好ですね。千歳飴長くて食べ難かった記憶がありますが、あの長いのに食いつくのが楽しかった思い出があります。友人の子供の七五三友人の男の子が数え3才(満2才)で七五三をやっている写真を見せてもらいました。隣には生後3ヶ月の妹が一緒に移っていました。二人ともとてもかわいかったです。こういう写真を見ると、兄妹もかわいいなぁと思うのでした。二人の育児は結構大変ですけどね。
数え年と満年齢年の数え方には「数え年」と「満年齢」があります。今ではほとんどのことが満年齢で行われますので数え年を使うという機会はかなり限られています。ですので、「数え年?」という人も少なくないんじゃないでしょうか。七五三では、もともとは数え年で行っていたようですが、今はどちらともこだわらないようです。七五三といえば七五三といえば、お宮にお祓い、千歳飴、記念写真に晴れ着でです。そしてもちろん子供たちが主役ですね。子供たちが主役の行事にはいろいろありますが、七五三の場合、晴れ着が目立つせいか、女の子のイメージがあります。もちろん男の子の行事でもありますね。兄弟姉妹と七五三兄弟姉妹がいるときは、兄弟姉妹のうち一人だけ七五三を祝うというのは、少し抵抗があります。毎年行う誕生日などならまだしも、何度も行うものではないので、七五三じゃない兄弟姉妹をなだめるのが大変だったりします。いっそのこと、年齢は少し目をつぶって、兄弟姉妹一緒に祝ってしまうのもいいかもしれませんね。七五三をホテルで豪華に七五三をホテルで豪華に祝う家庭も増えているようです。お祖父ちゃんやお祖母ちゃんも一緒に、三世代でホテルに行って、豪華に七五三のお祝いの食事をする人たちも多いようです。少子化で、子供のお祝い事を大切にする風潮が高まっているようです。七五三用の個室プランなども用意しているホテルもあるようです。七五三の晴れ着のレンタル七五三というと晴れ着です。最近は七五三用のレンタル衣装もいろいろあって、気に入った晴れ着を選ぶ事ができます。便利ですね。子供たちの成長は早いですから、着物とかいい晴れ着を買ってあげても、成長するとすぐ着られなくなりますからね。七五三では、かわいい晴れ着姿というのも楽しみの一つです。
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【 49】引用元  七五三のこと、七五三に備えて
URL: http://xn--7gqm03b.asykow.com/

子供のこれまでの成長を祝い、さらなる今後の成長を祈念して神社・氏神に詣でる行事。七五三の祝い(しめのいわい)とも呼ばれる(らしい・・・)。
に祝うことが一般的であるが、男女とも区別無く三・五・七歳のいずれにも祝うことも増えてきているようである。
現在は、単なるお祭り化してきてしまっているが、医療が十分発達しておらず子供の死亡率の高い時代には、節目節目で子供のそれまでの成長を感謝するとともに、今後も無事に成長するように神を祭って祈ったものである。
このように歳祝いは目出度いから祝うと言うだけでなく、祝うことで目出度い未来を招来する行事であったと考えられる。
元は、十一月の吉日を選んで七五三の行事が行われており、「十一月十五日」と決まっていたわけではない。
日付が現在のように固定されてきたのは江戸時代の中頃。三代将軍家光が、後の五代将軍綱吉(幼名徳松)の病弱であることを心配し、これの無事成長を祈るために、袴着の儀式を執り行ったのが十一月十五日。庶民もやがてこれにならい現在のように十一月の十五日に歳祝いを行うようになった。
日の吉凶を占う方式の一つに二十八宿というのがある。現在でもまだ使われているが、昔は今以上に信じられていた(弘法大師が中国から持ち帰ったという話とともに有り難がられた)。その二十八宿のうちで最良の吉日とされたのが「鬼宿日」。
この二十八宿には中国系とインド系の2つの系統があり、計算法が違うのだが、江戸時代の初めに日本で使われていた宣明暦はインド系の計算方式(二十七宿)であった。この方式では十一月の鬼宿日は十五日。
「十一月の吉日に行う行事」であった子供の歳祝いの日付としては、最適の日だったのだろう。
月が28の宿の一つ、鬼宿にあった日にお釈迦様が生まれたと言い伝えられるところから、鬼宿日が最も目出度い日と考えられるようになった。 
二十八宿は古代中国の天文学から生まれたものである。これはやがてインドへ伝わり、占いの様相を帯びて中国に逆輸入され、日本にも仏典(宿曜経)として伝わってきた。
前にも書いたように、二十八宿には中国系(二十八宿)とインド系(二十七宿)がある。中国系の二十八宿は日の干支と同じく、一番目の宿から始まって、二十八宿まで行けばまた一宿に戻るという選日法である。
これに対しインド系の二十七宿は、月の朔日の宿が決まっていて、あとは順番に割り振ると行った六曜に似た選日法である。であるから、二十七宿方式だと、月毎の鬼宿の日は毎年同じ日となる。この日付は次の表の通り。十一月は十五日である。
元々七五三は、それぞれの年齢に毎に行われていた年祝いが一つになったものである。
先に書いたように、男児と女児で祝いう年が違っているのも、元をたどると古いそれぞれの年祝いに由来していたりする。
昔(江戸時代以前?)は幼児の髪は剃っているのが普通だった(自分で髪の手入れなど出来なかったからかな?)。
三歳になると、ようやく髪を伸ばすようになる。この節目として行われるのが髪置の儀式。子どもが将来白髪頭になるまで長生きするようにと言う祈りを込めて、白髪に見立てた綿帽子を子どもの頭に載せる行事が、「髪置」である。 
男児が初めて「袴」をはく儀式。「袴」という大人が公の場で身につける衣服を着用すると言うことで、男として社会の一員となると言う意味を持つものなのだろう。
なお、この際に子どもを冠を着けさせて碁盤の上に載せ、四方の神を拝させたと言う。碁盤は、「勝負の場」の象徴として用いたものらしく、この子が大きくなって出会うであろう人生での様々な「勝負の場」で四方を制するという意味を持ったものとか。
この意味合いからすると、武家社会となってからの行事のようであるが、この点は明確でない(私の調査不足です)。 
女子が、着る着物の着け帯び(縫いつけてある帯?)をはずして、代わりに大人と同じに帯を締める行事。これによりは女児から「女性の一人」と認められると言うことか。
帯を締めるのに「帯解?」という気もするが、ここで解くのは「着け帯び」のこと。誤解の無いように。
なお、帯は「魂をその内にしっかりととどめおく」ものだそうで、帯を締めることによって、身を持ち崩すことのないようにと言う願いを込めるものとか。
七五三の源流である、髪置き・袴着・帯解にはそれぞれにこの儀式に参加する重要な人物があり、「○○親」とよぶ。
それぞれの年祝いは子どもの成長を祝う行事であるが、また一面では社会を構成する一員として、子どもを迎え入れる節目の行事でもある。その為、この儀式には子どもが地域社会への参加することに関する一種の「保証人」の役目をも持っている。
髪置きの行事で、白髪に見立てた綿を子どもの頭に載せる人物。長寿の人がこの役に当たった。
袴着の行事で袴の腰を結ぶ人を「袴親」という。また、冠をかぶせる人を「冠親」という。どちらも地位や名誉のある人がえらばれる。特に冠親には、この子の生涯の後見者、庇護者と言う面があり、大変重要視された。
帯解の儀式において、初めて締める帯を送る人。帯を送られた女性の親代わりとなれるような女性がこれに当たった。
「とおりゃんせ、とおりゃんせ、ここは何処の細道じゃ、天神様の細道じゃ・・・」
よく知られた童謡のとおりゃんせは七五三の祝いに天神様にお札を納める模様を謡った歌。
何処の天神様かというと諸説あるが、川越城内にあった三芳野天神という説が有力。神社が城内にあったため(元はと言えば神社があったところに城が後から出来たのだが)、警護が厳しく、素振りを怪しまれでもすると、無事に出てこられないかもしれないと言うので、「行きはよいよい、帰りは怖い」と謡われたのでは無いかと言われる。 
それにしても何となくおどろおどろしいとおりゃんせの歌詞。上の説明だけでは何となく物足りないような気もする。
いろいろと想像を巡らしてみると、もしかしてと思うのが、「七つ前は神の内」という言葉。幼児の死亡率が高かったその昔は、七つを迎えるまではその子が無事に大人になるかどうか不確かな部分が多いとして、人間社会の構成員とは考えず、「神様の子」と考えた。だから、子供が急逝してもそれは神が、自分の子を連れて行ったものと考えたわけである。
七つの歳祝いを過ぎればようやく子供は人間社会の一員として、神の手を離れるわけで、そう考えれば「七つのお祝い」は神の世界から人間の世界へ向かう最終試験のようなもの。
天神様に七つのお祝いのお札を無事に納め、子供と再び帰ることが出来るか、はたまた神が最後の瞬間に子供を連れ去って行くか。「怖いながらもとおりゃんせ」だったのかもしれないと考えるのは、考え過ぎかな??? 
最初から現在のような縁起物の様相を呈していたわけでは無いらしく、七五三の土産にと言う、現代風に言えば販売効果を狙って、鶴亀・松竹梅をあしらった図柄の袋に入れたり、「千歳」などの目出度い言葉を名に冠したりしたものと言われる(最初の写真参照)。
ちなみに、この平野甚右衛門なる人物、豊臣氏の残党と言われる。その真偽は定かでないが、商売のセンスはあったようである。

【 50】引用元  七五三のはなし(No.0745)
URL: http://koyomi.vis.ne.jp/reki_doc/doc_0745.htm


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