冠婚葬祭で恥をかかないための知識やマナー、礼儀などの大辞典です。

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結婚式、お葬式のマナー、電報、お祝い、お悔やみなどの参考辞典

最終更新日  2008年 01月 23日

くやみとは?

奈良のおはなしでございまして、奈良七重・七堂伽藍・八重桜、天平の甍を濡らす時雨かな、いずれにいたしましても、奈良というとこは結構なとこで、春によし、夏によし、秋によし、冬によし、ええとこですな。
まァ、何と申しましても、奈良と申しますと大仏っあん、あれおもしろいもんで、大仏っあん観に行って、あんまり拝んでる人おまへんねゃ、あれネ。
あらァ、大きいのがとりえでしょうが、大仏殿へ入りまして、大仏っあんの前へ手ェ合して、拝んでる人というのは少ない。
大仏殿へ入りますと、修学旅行の方でも、あるいは、地方からお越しになったかたでも、地のもんでもみな一緒ですな。
東京タワー、大阪タワー、何タワー、ぎょうさん大きなもんがあるなかで、あれ見てびっくりするんでっさかいに、昔は、あンだけ大きなもんができましたときには、びっくりしたんでっしゃろな。
そらァ大きい。お身丈が五丈三尺あるてなこというて大騒ぎ。それまで、日本中でいちはん大きいもんはちゅうと、紀州・熊野灘の鯨やちゅうとったんですな。
そやから、鯨、「俺ァ大きい」と思うとるところへ、奈良の大仏っあんがでけて、大きィお株を向うへ取られたちゅうんで、熊野灘の鯨がネ、気ィ悪うしよったン。
「オイ、え?馬鹿にしとるなァ。どないや、あのガキゃ、ほんまに。大きィ大きィて、みな言やがって、奈良の大仏っあん、奈良の大仏っあんて、みな、奈良へ行きよるやないかい。おら、ムカつくさかいに、いっぺん奈良行てきたろ思うてんねん」
「何しに行くねんて、そやないかい。俺ァ、お前、奈良行てな、俺と大仏っあんと、どっちが背が高いか、背くらべしたろ思うて」
「そなアホなことすなや、お前。あんだけ大きィねや。そらァ、お前行たかてあかんで」
「俺ァ、あの紀州のな、鯨やねん。いままで俺が、日本でいちばん大きィと思てたン。お前みたいなんがでけたお陰で、大きィ大きィて、お前の方が大きィち言われてな、俺ァおもろないねん。いっぺん、俺と背くらべしょう。ほなとこで坐ってんと、ピューッと立ってみィ」
「そんなアホなこと言ィな、これ。お前はんが立ってそれじゃ。わしゃ坐っててこれじゃ。立ったさかいて、みんな、負ける気遣いない。やめときィ」
「何ぬかしてけつかんねん。ほなもんやってみなわかるかい。立て立て、立て。よう立たんのか、こら立てェ」
と、大仏っあんがヌーッとお立ちになったんですが、こら残念ながら、大仏っあんが負けたン。大仏っあん、金ですからな。カネとクジラで二寸、クジラの方が長かった。
でも、奈良の名物というのは、大仏っあんだけやないんですな。奈良へ参りますと、鹿がぎょうさんいてます。
俗に春日燈籠と鹿とを勘定したもんは長者になるてなことを言いますけれども、こら、無理な話で、燈籠の方は、印でもつけていけば、数読めんことおまへんけどネ、鹿というやつは、みな同じような顔してまっしゃろ。ほいで、あっちウロウロ、こっちウロウロしよるさかいに、数えていって、してる間に、こっちのやつが向う行きよって、あれ、これあら、ウダウダシダ・・・・・・てなもんで、そやさかいに、いまだに奈良の鹿の数だけは、シカとわからんちゅうぐらいなもんで。
昔は、奈良の鹿を打ち殺した者は石子詰めになるてなことを申しまして、十三になる三作という小僧さんが、あやまって鹿を殺して、石子詰になったという跡が、いまだに残っておりますが、三作石子詰めの跡、かたわらにもみじの木が一本植えてあります。
幼い子が極刑に処せられた。親のいる間は香・花をたむける人もあろうが、親が死んで、月日が経ったら、香花を供える人もなかろうと、親心でもみじを一本植えたんやそうですな。
ですさかいに、これを懐しんでか、あるいは愛しんでか、いまだに鹿の横へもみじをあしらうというのは、これから始まったんやそうですが、三作石子詰めの跡というのは、いまだにございます。その後、まさか石子詰めというような残虐な刑は行なわれんようになりましたが、江戸時代に入りましても、鹿を、たとえ過ちたりとも、打ち殺した者は死罪。承知の上で、これを打ち殺した者は打ち首、獄門極刑に処せられるというきびしい掟がでけた。そのぐらい鹿は大事にされたんですな。放し飼いにしてある鹿は大切にしてやれ。放し飼いの鹿は大切にせよ、ハナシカは大切にせよ・・・・・・ありがたいお達しがあったもんですが。ですから、奈良の名物はと申しますと、大仏に奈良筆、奈良墨、奈良晒、春日燈籠、町の早起きてなことを申します。
ほかのものはわかりますが、町の早起きというのは妙な名物があったもんで、なぜ、この早起き名物になったかと申しますと、さきほども申しましたように、たとえ過ちたりとも、鹿を打ち殺した者は死罪。
ご寿命かなんかで、お鹿様がコロッとお逝き遊ばして、朝、目ェさまして、表の戸をガラガラッと開けると、お鹿様は、それへゴロンとネ、永眠遊ばしておられるちゅうなことになると、
「おゝ、えらいこっちゃ、おい。ほなもんお前、うっかり、うちィかかわり合いがついたらえらいこっちゃ。隣、まだ寝とんな。えらい薄情なようやけど、お隣ィ、これ置かさしていただこか」
町中が早起きするようになったと申します。奈良の早起き。妙な名物があったもんです。
早起きのなかでも、殊に早いのが豆腐屋さん。お豆腐屋さんというのは、朝の早い商売で、川柳というのはおもしろいことをいうもんで、『豆腐屋の亭主その手で豆をひき』てな川柳がある。これァ、ちょっと説明できません。
奈良三条通りの、豆腐屋の六兵衛さん、正直一途、今年六十三、子宝に恵まれず、婆ァさんと二人暮し。良心的な商いをいたしますンで、近所からも慕われて、遠い所から六兵衛さんの豆腐を買いに来るというぐらいのもん。この日も、朝早う起きて、豆をひいてますと、表でガタンという大きな音、
表を見ますと、まだ、明けきらぬ表、雪花(きらず)の桶がゴロンとそれへひっくり返ってる。おからですな。
豆腐は切りますけども、おからというやつは切る人はない。で、あれ『きらず』と名前がつけたァる。枠なもんですな。
きらずの桶がゴロンとひっくり返って、湯気が、ポッポッポッと出てるとこへ、大きな赤犬が首つっこんで、これ食べとる。
「コレ、コレ、シャイ! あっち行ておくれ、あっち行とくれ。これ、お前はんらが食うぐらいのことは知れてあンねがな、後を、お客様にお持ち帰り願わんならんのじゃ。お分けせないかんというものを、お前はんら畜生にそないされては困るのじゃ。行てくれ、コレ、あっち行ておくれ。コレ! こけた桶はしょうがない。ほかのとこへ首つっこみないな、コレ。コレ! シャイ! シャイ!シャイ!」
日頃、気立ての優しい六兵衛さんですが、その日は虫のいどころが悪かったとみえて、ネキにあった割木を取るなり、ピシーッ、コロッ。当りどころが悪かったか、赤犬がそれへひっくり返った。
「あゝあ、むかっ腹立ったとは言いながら、畜生でも可哀想なことした。おゝ、どないしたんじゃろな。コレ、コレ」
「じいさん、どないしなさった。え?なに?ほう、エッ! お鹿様を・・・・・・何ちゅうことしてくれた、じいさん。鹿を殺せば重罪じゃ。打ち首になる。こなたはええ。後に残る私、打ち首になるそなた、じいさん! どないしょう」
上を下への大騒ぎ。こういうことは、一刻も早くお届けに上った方が、格別のご憐憫のお沙汰が下るかもわからんと、その当時、鹿の世話は、奈良・興福寺の受け持ち、幕府からは、塚原出雲という鹿の守役がつけられております。
興福寺の僧侶・良全という番僧と塚原出雲両名の者が、訴え書をしたためまして、奉行所へ差し出ます。
普通、小さいお裁きでございますと、与力あたりで済ましてしまいますが、奈良における鹿殺しは大罪、お奉行じきじきのお調べでごぎいます。
このころ、奈良のお奉行さまはと申しますと、松野河内守さま、後に大阪の町奉行におなりあそばして、あの忠臣蔵赤穂義士との夜打ちの道具をこしらえました天野屋利兵衛をお裁きになった後、江戸表へおたち帰りになって、江戸の町奉行におすわりになった方。
このころはまだ、奈良の奉行としてご在任中で、なかなかお慈悲深い、お裁きの上手なお方やったそうでェ。
正面には、稲妻型の襖、奉行の座右の銘ででもございましょうか、至誠一如と書かれたような墨痕淋漓たる額が掲けられております。
目安方、吟味与力、つくばいの同心、捕り方が、捕り物道具を押し立てまして、お白州のあたりを取りまく。縁側には、鹿の守役・塚原出雲、興福寺の僧・良全両名の者が控える。
ドーン、ドドドンドン、ドーンドーン、時太鼓とともに襖がスーッ、松野河内守様がピタッとご着座になる。
「コレコレコレ、その方、上を恐れるのあまり、気が動転いたしておるのではないか。心を鎮めて返答いたせ。生国、生れはいずこじゃ」
「おゝ、これ・・・・奈良に生れ、奈良に育った者が、鹿殺しは大罪ということを知らぬはずはあるまい。その方、他国の者であろう。他国から、この奈良へ出でて商売をいたしておるものであろう、の? 前後をわきまえて返答をいたせ。生れはいずこじゃ」
「頑稀なる正直者であるの。六兵衛、その方、さきほど、六十三才に相なると申したな。六十三才とも相なれば、耄碌をいたして、前後を忘却いたしたり、物がわからぬようになるというような病があるか」
「しからば、奉行、相たずねるが、その方、鹿を打ち殺したと申すが、何ぞ、意趣があってか」
「意趣のあろうはずがございません。朝起きて・・・・豆ひいとりました。表の方で大きな音がいたしました。見ると、赤犬がきらず食べとります。二度三度追いましたが、向うへ行ってはくれません。ネキにあった割木をとって放りました。たしかな手応え・・・・近寄り見れば、犬ではあらで、これなる鹿、南無三無、薬はなきかと、懐中を探ってみれば情なや・・・・」
「これ、それは『忠臣蔵』六段目である。逆上いたすな。ン・・・・ン・・・・ウン・・・・鹿とは存ぜぬ、犬じゃと思うたとあるか。ならば、奉行もいまいちど、死骸をあらためみよう。コレ、死骸を持て」
「ほッ、奉行、いまあらためみたるところ、毛並は鹿に似たれども、これはまさしく犬じゃ。犬ならば、お咎めはない。六兵衛、これは犬である。塚原出雲、興福寺の僧・良全、その方ら両名、お役大事と思うのあまり、毛並の似たるに惑い、犬を鹿じゃと取り違えたものと思われる。お役大事の上の過ちならば、奉行、あえて咎めはいたさん。この訴状、願い下げにいたされるがよかろう」
「あいやしばらく。この塚原出雲おそれ多くも、幕府の命によって、永年、鹿の守役を相務めまするも、何事をもって、鹿と犬とを見違いましょうや」
「ほう、ならば、その方、これを鹿じゃと申すか。ならば、奉行、相たずねるが、鹿ならば、角がのうてはかなわぬはず。この死骸に角があるか」
「これはしたり。ご奉行のお言葉とも思えませぬ。鹿は、若葉の候に相なりますると、若葉を食し、よって、角がホロリと落ちる。これを世に、こぼれ角、落し角と申す。また、落ちたる後を、袋角、世に鹿茸と唱え・・・・」
「黙れ! 何事をもって、その方がごときに、鹿茸の講釈をきこうや。松野河内守とて、その方ごときに・・・・存じおろう。その方、あくまでも鹿じゃと言いはるか。ならば言う。奈良は幕府の直轄にして、ご朱印、一万三千石、一万石は春日明神ならびに、興福寺、三千石は鹿餌料として下しおかれる。年三千石と申せば、莫大なる餌料、その餌料をもって、鹿の腹が満ちたりておれば、神鹿と敬い奉られるほどの身が、あに町下に出でて、きらずを盗み食うというがごとき、盗賊のような所業があろうや。もし、鹿がきらずを盗み食ろうたとあらば、その腹がくち足りておらぬ証拠。奉行、存じおりを申せば、餌料三千石のうち、金子に代え、町下に貸し出だし、暴利を貪る者もあるやの風聞もある。あくまでも鹿と言いはるならば、鹿殺しの取調べは、後廻しにいたし、餌料着服の件より取調べつかわそうか。出雲! どうじゃ」
「・・・・・・・・毛並の似たるに相惑い、これなる犬を・・・・鹿と誤りましたるは、出雲、重々の誤り」
「ほう、さようか。ならば、塚原氏は、この死骸を、犬じゃと仰せあるな。ウン、さようか。しからば、犬に相違ないな」
「ウーン、塚原氏、鹿というものはの、若葉の候になると、若葉を食す。よって、角がホロリと落ちる。これを、落し角、またはこぼれ角と申し、落ちたる後を袋角、あるいは、鹿茸という。この死骸に、その鹿茸とやらはないか、ン?」
「ほゥ、奉行、うち見たるところ、額のあたりに、何やら癌のようなものが二つあるが、これは、袋角でほないのか」
「さようか。ならば、犬に相違ないの。ン、塚原出雲、ならびに、河内守、両人のみのまなこに曇のあっては相ならん。興福寺の僧・良全、あらため見ィ。犬か」
「ヘッ、・・・・ヘェ・・・・イ、イ、犬でおます。甚平はん、甚平はん、犬やな、犬やな」
「ヘェ、犬でおます、犬でおます、エッヘッヘ・・・・・・犬に違いおまへん。その証拠に、いまワンちゅうてなきました」
「たわけたことを申すな。ならば、一同見たところ、犬に相違ないな。ン、犬ならば、お咎がない。塚原出雲、興福寺の僧・良全、両名の者、この訴状は差し戻しといたす。犬を打ち殺したる六兵衛にも、何らお咎めはなし。なれど、六兵衛、この後、犬といえども、大切にしてとらせよ。よいな。ン、これにて一件、落着。一同の者、立ちませー」
嬉し涙とともに、バラバラバラバラ・・・・退出いたします一同、お見送りになっておりました松野河内守様、サッとお立ちになって、
最初、奉行の松野河内守の説明で、「天野屋利兵衛をお裁きになった後」とあるのに、六兵衛が、忠臣蔵を洒落たのに対し、「これは『忠臣蔵』六段目である」と指摘してます。

【 142】引用元  落語特選「くやみ」
URL: http://www.hi-ho.ne.jp/hga00161/daihon/text/sikaseidan.html

えー、ェーッ、毎度この、噺の方へは、ァーッ、変った奴が引き合いでございますが。えー御夫婦なぞで、おかみさんが大変この、ォーッしっかりしております。「あのおかみさんはどうもなかなか男勝りで、ェー偉いよ」なんてな事を言ってね。もっともまァこの良く言うから男勝り、悪く言いますと、ァー御亭主を座布団同様、尻に敷くこのォ、嬶天下てぇ奴でね。こういう亭主は人のいい方で「あの人はいいねぇどうも、何を言ってもにこにこ笑っていて結構人だよ」なんてんでね。まァ良く言うから結構人で、はっきり言うと、ォー馬鹿でございますがまこういうその、えー、おかしなのが、ァーッ、噺の方の材料で「何をしてるんだねぇこの人はァ。お入りこっちィさっさとさァどこをのそついてるんだねぇ。方々捜していたんだよ。大変な事が出来ているんだよ。旦那がお亡くなりなんだよお店のゥ。まァ本当にびっくりしちまったじゃないの、すぐに行かなくちゃいけないからお店へ行っといでよ。ねぇ、ちょいと、…ちょいと。ちぇっ…じれったいねこの人はもそもそしてんねぇ。亡くなったんだよっ」……
6.レコードのデータには1960年頃としか表記されていないが、番組調査の結果、元の録音はNHKラジオの6月2日に放送された物と思われる。演目総覧には良く放送で掛けていたとあるが、晩年には殆ど掛けていない。
8.圓生壮年期のライヴとして没後発売された5枚のアルバムの一つ。いずれも貴重な録音だが、この『くやみ』もこの録音しか残っていない。
えー、ェーッ、ようこそ、ォーッ、お運びでございまして、えー誠に、ェーッ有難い事でございまして。『くやみ』と言う、えー、ウーッお噺でございますがまァ、くやみと言うと、ォーッ申し上げるまでも無く人間が死んだ時に、えー述べるもんでございますが。あんまり生きている間に述べられると嫌なもんで。もっともあたくしは一遍、生きた仏様へ、おくやみを言った事がありましたがどうも実にやりにくいもので。えー、盲人になりました、柳家小せんと言う、えーこれはまァ、ウーッ、明治時代から、ァーッ大正へ掛けまして、大変人気がありました人で。えー若い、ィッ噺家なぞはあこがれの的だなんてぇ事を言いましてわたくし共、このォ小せん師匠の所へ、噺の稽古ォに随分通いまして、何しろ、オーッ、大変この、いい男でございましたが、(白湯を啜る)吉原の方へだいぶ、ゥーッ、ウー通いましてね、勿論廓噺が大変上手かった。やはり商売上、ォーッ、経験をしなければならないと言う、あまり商売熱心なあまりに、えーエヘッ、悪い病気を引き受けたんですか、このォ、ォーッ両眼が、ァーッ見(め)えなくなりまして。白底翳と言う。…… ……<小せんの今晩死ぬ〜噺家の通夜>…… ……まァ全く我々同様なんてぇ事を良く言いますが、もう世の中をついでに生きていると言う様なね、ぼやーっとした奴が、アーッ我々の方の、立てもんと言う訳で「何をしてるんだねこの人は。どこへ行ってたんだよゥ。大変な事が出来て方々捜していたんだよ旦那が亡くなったんだってさ、まァびっくりしちまったじゃないか、お店にもすぐに行かなくちゃいけないしさ、おくやみに行っといでよ。ねぇ、ちょいと、亡くなったんだよ旦那が」……
「圓生百席」の補遺として、没後5枚のLPとしてCBS・ソニーから貴重な録音が発売されたが、これはその中の一席である。寄席などでは良く掛けていたのかも知れないが、実の所は放送でも記録が少なく、今になってもこのLP盤のみの音源しか出て来ない。その点では非常に貴重な記録であり、このLPも一枚二千円と当時としては高かったが今となっては貴重盤となっている。この「くやみ」の様な噺はやはり落語独特の薮睨みの世界で、いわゆる穴探し物である。真面目に見ていれば考えもつかない事を斜に見つめる事によって笑い飛ばすのである。ストーリー的な要素が無ければ漫談と同じになってしまうがこの「くやみ」の様に筋立てがあればきちんとした落語になる訳だ。大体冠婚葬祭をねたにしてしまうのが落語らしい。この「くやみ」や「胡椒のくやみ」の様にどこかに潜む人間の本音を、笑いに変えている所が、講談や浪曲には無いのである。春風亭柳昇の一連の新作物もこの精神に通じるところがあ。米丸の新作との違いはそこであり、米丸の新作がちっとも面白くないのもそう言った精神が皆無だからである。落語に常識など求めてはいけないと私は思っている。正しい落語の聞き方とは、常識を理解する人がその常識をひっくり返す事により笑いを巻き起こすにあると思う。冠婚と葬祭の違いはあるが、春風亭柳昇の「結婚式風景」はこの「くやみ」や「胡椒のくやみ」の精神を持ちどこかに潜む人間の本音をさらしている為におかしいのである。冠婚葬祭と言うたてまえの塊の様な場所で本音をさらす事の快感なのである。

【 143】引用元  くやみ
URL: http://park5.wakwak.com/~wrc-kusa/kuyami.htm


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