冠婚葬祭で恥をかかないための知識やマナー、礼儀などの大辞典です。

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結婚式、お葬式のマナー、電報、お祝い、お悔やみなどの参考辞典

最終更新日  2008年 01月 23日

お布施とは?

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来月、四十九日法要と納骨を行いますが、お布施料はいくら包めばよいのでしょうか?一応、檀家の人に聞いて見ましたが、20万という人や法要だから3〜5万と言う人もいて人によって金額が違い、困ってます。
葬儀屋に葬祭費用支払い時に聞いたら、葬儀に払ったお布施料の一割が相場と言っていました。(例えば50万なら5万)
お布勢料は檀家に聞いたら、30万と聞いたので、30万支払いましたが、葬儀屋が言うには、葬儀の時お坊さん1人しかいなくて30万は高いと言っていました。
初めての事で、ほとんど無知の為、お詳しい方教えて下さい。宜しくお願いします。(臨済宗です)
前回助言として投稿した際には金額の面が判りずらい書き方だったと反省してもう一度書きます。
◇49日のお膳料5千円。(菩提寺の庫裏の間で精進落としをされた場合皆様と同じ料理をご用意します。基本的にはお一人分で場合によりそこの奥様の分も用意する方もいます。)
◇ご本尊様・お位牌・仏壇の開眼供養は包まなくても49日の法要と一緒であれば法要のお布施に含みますので用意する必要はありません。
法事の場合にはお寺さんが2人以上いても1人でもお布施の金額を変える必要はありません。
葬儀(枕経・通夜・葬儀・火葬場での読経,計3日,僧侶1名)御布施30万円+御車料2万円+御膳料3万円。
四十九日+仏壇の本尊の開眼法要(自宅,僧侶1名)御布施3万円+御車料5千円+御膳料5千円。
一周忌は菩提寺で行いましたので,御布施には御供物料・供花料・灯明料・御香料・席料など一切合切含んでいます。
先ほど書いた内容のところで本堂の堂の字を道と書いておりましたが、訂正いたします。
お寺さんがお一人でおつとめなされるのが常であると言う事は浄土真宗以外の宗派では意外と普通です。
貴方様がおっしゃる四十九日の法要の時のお布施と新盆の時のお布施と言うものはお経の事だと思いますので、ご質問の内容を元に助言させて頂きます。
元々お布施にだいたいの目安は取り決めとして存在しますが命令としてではありません。
例えば、働き手のいらっしゃらないお家などがお経をあげて頂く際に1万や3万であっても布施することは不可能であります。
お布施はあくまでもご用意される方の生活環境やお寺さんに対してのお考えによっても違いがあります。
ましてや葬送の儀に布施された一割などと何を基準におっしゃっているかは存じませんが、あまり参考にはならないと思います。
また、葬送の儀にお一人でおつとめされているからと言って30万布施されたのが高いとも言えません。
同じ金額であっても布施をされる方の生活環境によってお金に対する感覚は違うものと思います。
まともなお寺さんであったら檀家さんの生活に負担をかけ様とは思っていない筈です。
菩提寺のすべき事と檀家さんのすべき事は互いに理解し合ってある意味助け合いがなされると思います。
菩提寺と檀家さんとの関係が希薄になっていることが原因であり、お寺さんとしてもお寺を維持する為の苦肉の策のように思われます。
決してその事を肯定する事も出来かねますが、実際に人の良いお寺さんが家族を犠牲にしてまで懸命にご自身が守られているお寺を檀家さん達の手助けを受けられず檀家さんのご先祖も守っている現状もあります。
最近では、自分のお寺だけ助かる方法としてお布施の明確かとか他所よりお布施を安くするとか内ではお布施を頂いておりませんとか言った訳の判らないことを宣伝してお布施の意味を理解してないご僧侶も存在しています。
何度も言うように檀家さんはお客さんでは無いし、ましてやお経や戒名・法号・法名料と言うものは商品ではありませんので安い高いの次元の問題ではないと言えます。
かといって何も助言をしないのもお困りになられるかと思いますので、私などが携わっているご葬家の方々で今まで統計をとっている中で比較的多くの方が用意されていたお布施としては、四十九日の法要で3万円とお盆でのお布施でお寺でのお経をあげて頂いた時に1万であり、ご自宅にお迎えしてお経をあげて頂いた時に3万円でありました。
なお、お盆の時期には別にでありますがお施餓鬼に灯明料としてお寺にお渡しされているので、お寺さんか檀家総代の方々にご確認ください。
灯明料(お布施とは書きません)については、お包みした金額が本道内に金額とお名前が掲示されます。
付け加えておきますが、お寺さんとのお話についてはかけ引きはなさらないでください。
正直にご自身の現在の状況と今後のご先祖様(お亡くなりになられた方)への供養についてのお考えとお寺さんに対しての思いを打ち明けてみてください。
または、貴方様の先祖供養に対する行為に対してお寺さんとしての考えをお教え頂ける事と思います。
菩提寺であるお寺さんが貴方様のご先祖に対して寄せていた思いとそのご先祖様方から受けていたご厚意については、そんな軽い関係ではない筈であります。
今まで、大勢のお寺さんに接していますが評判が悪いお寺さんもよくよくお話して見ると話の判る方々でした。
私の父親の33回忌の経験からお話します。結論を先きに…お布施〜5万円(一つの封筒)・お膳料とお車代〜5万円(一つの封筒に内容二つを記載)合計10万円です。お坊さんは一人、所要時間約1時間でした。お坊さんは自分の車で私の家まで来ましたので、駐車場を確保しました。もともと相場があってないようなものらしく、基本は志(こころざし)と言うことになっていますので、周りの意見を参考にするも良し、ご自分の考えたとおりにするも良しではないでしょうか。ちなみに私の家は、福岡市内ですが、後で誰に聞いても「まあいいところだろうな…」でした。
多いにこした事はありませんが、少ないから悪いってこともないですよ…主人とよく相談して決めたいと思います。
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【 19】引用元  四十九日法要のお布施、新盆の時の布施の金額について。 - 教えて!goo
URL: http://oshiete1.goo.ne.jp/qa915884.html

ご葬儀のときに安心して、お坊さんと付き合いたいという人へ、向けてのサービスです
当社で葬儀を依頼されなくても、HPにいらっしゃった方は大切なお客様です
ご紹介の時のお布施は、明確な金額で皆さんにお知らせすることが出来ます
ご先祖様と同じようにしたいといった場合同じように位号をつけることが出来ます。
本来お葬式は通夜、告別式と行なわれるので一日だけになってもお布施の金額が半額になるというわけではありません。
ご先祖様と同じようにしたいといった場合同じように位号をつけることが出来ます。
お寺は、お金にしか目がないようなダメなお坊さんはこちらでお付き合いをさせていただいておりません。きちんとその宗派の修行をして本山から許可の出た、ちゃんとした普通のお寺さんです。
基本的には、葬儀に来ている時ならいつでもかまいません。来て最初のご挨拶をさせていただく時に渡す方が多いと感じています。もちろん全部終わった後でもどちらでも大丈夫です
こちらはお気持ちでかまいませんので、本当に幾らでも大丈夫です。それでも一般的には幾らぐらいですかと聞かれることがおおいのでお答えしますと
ご紹介するお寺さんのほとんどが、きちんとしたお寺もちのお坊さんです。お盆や納骨、法要用なども安心して頼めます。
「いったい幾ら払ったらいいか分からない」といったお布施やお坊さんに関する悩みを解消するために。地道にこつこつと良いお坊さんを集めて、お坊さんの紹介をしております。
お坊さんを頼みたいのだけれど、がめつくなくて人のいいお坊さんだったらいいなと思うのは当然の考え方だと思います。安きちんとしたお坊さんに出会えることがお客様にとってよいことだと私は思ってこの業務を始めました。
菩提寺にお墓がある場合は、葬儀をする場合たとえ遠方でもそのお寺に確認をとるほうが良いと思います。なぜならそのお寺のご住職が「へそを曲げてしまって」、うちのお墓には入れてやらん!と怒り出すと、最悪の場合お墓に入れてもらえなくなってしまいます。
理不尽にな話しだと思いますが、お寺は仏教の教会であり、そこにあるお墓はその教会の会員であることが使用の条件だからです。皆様が無用なトラブルに巻き込まれないためにも。お寺にお墓があり。そこに埋葬する予定の人は気を付けてください
逆にいえば、民間霊園や公営墓地などにお墓を持っている人はどこのお寺でも大丈夫だと言うことです。
台風の日に、遠いところからお坊さんに来ていただいて、お戒名をつけてもらいました佐藤さんと、○○寺さんにお世話になりました。
来ていただいた、浄土真宗のお坊さんはとっても優しい方で、このお寺さんでよかた思っています。納骨やお盆も頼みまして、多分一生の付き合いになると思います
とてもお経の上手なお坊さんでよかった、素的なお戒名もつけていただいので、安心しました。
田舎の方にかえって、あらためて葬儀を行ったがとてもいいお坊さんだったのでお盆はこちら(東京)でやるのでそのときにはまたお願いしたい
ほかの葬儀屋さんでも紹介してくれるといっていたが、とても高い金額を言われたので葬儀も含めてそちらに頼めばよかった。お坊さんの紹介だけでもしてくれて助かった
なんにもわからないなか、心づけとかお布施って一番不安なところじゃないですか。そんななかで面倒みてもらえたので本当に良かったとおもっています。ありがとう
戒名とは、宗派によって呼び方は違いますが、浄土真宗では「法名」、日蓮宗では「法号」と言います。(当サイトでは一般的な表現として、「戒名」と呼んでいます)

【 20】引用元  お布施が明確料金 お坊さんの紹介
URL: http://www.alpha-net.ne.jp/users2/sato1976/catalog/58-souryo.htm

葬儀、葬式の葬儀安心サポート24のお布施と戒名についてのページです。
> お葬式を考える時のポイント > 葬儀の形式 > 仏教の葬儀 > 葬儀のお布施と戒名について
みなさんの中でもお寺からこのように言われたご経験はありませんか? 本来、お布施と言われるものには勿論、定価なんてありませんしあってはならない事なのです。
葬儀の内容や、僧侶にお勤めいただく日数と人数や寺院の格式によってもお布施に違いはあるようです。実際に葬儀で僧侶へお包みされている「お布施」の一般的な金額と内容はどのようになっているかといいますと、地域や慣習によっても異なりますが、一つの目安として下記表をご参考にされてみてください。
※関東では僧侶(導師)は一人が多く、名古屋地域の葬儀では導師一人、役僧二名(かたはち)での葬儀も多く見られます。役僧一人につき約5万円位のお布施を加えるのがひとつの目安とも言われています。表現に語弊も感じられますが戒名にありますランク別の布施金額について一般的な費用を表にしてみました。
戒名は宗派によってその構成が異なっていますので、故人の宗派を間違えないようにしなければなりません。故人の宗派がわからない時や、菩提寺が離れている場合には俗名(生前の名)のままで葬儀を行ない、改めて墓や遺骨を管理する菩提寺にお願いすることがよいでしょう。
※ただし、気をつけないといけない事は、今までの寺院との関係にもよりますが、先祖代々、お寺に対してどの位の施しをその家の主がしてきたか・・宗教心、信仰心によってもお布施の金額は異なると言われているようです。
最後になりますが、あくまでもお布施ということです。一人々に事情が異なるのと同じように、お包みできるお布施の金額も異なって当然のことです。葬儀安心サポート24では、様々なご相談者のお布施に対するご相談も寄せられています。経済的な事情や戒名に対してのご相談、又
葬儀後の納骨先まで考えた寺院の紹介に対応しています。皆さんのお寺に話しにくい事、いつでもご相談されてください、しっかりとご相談者の話に耳を傾けて聴いていただけるご住職のご紹介も可能です。
昨今では、僧侶にも様々な人々がいます。布施の金額の話ばかりしたり、金額にこだわるような僧侶は見限った方が良いでしょう。また、先にも記しましたように、金額の多寡は問題ではありません。布施をあげる方の気持ちに相応する金額を出せば良いのです。気持ちはあっても金銭がない場合は、日々の供養を心がけることでも充分と思います。また、僧侶に事情を話しても催促されるようでは、それこそ、そのような僧侶とは付き合わないようにした方が良いでしょう。
私自身もまだまだ分からない事も沢山あり質問にお応えする場合でも、お調べする事がとても多いのが仏事相談です、それだけ分かりにくくもあり又、奥深いのが仏事の事柄と思います。
日常の生活では、なかなかご住職の方々とお話できる機会はあまりないでしょう。ご供養のご相談や、宗派による葬儀の違いなど、直接ご住職へお話を希望される方はいつでもお問合せ下さい。
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【 21】引用元  葬儀 葬式|葬儀安心サポート24|お布施と戒名について
URL: http://www.memorial-soudan.com/jiin-ofuse.html

はじめに−布施の金額設定−経済性の優先−信仰が大切−お布施の意味−三輪清浄−お布施をする動機−現実の問題「不安」「寺檀制度」「信仰」−金額提示の是非−今後の動向−最後に
以下に述べることは,近年檀家に対して葬儀のお布施の金額提示をすることにした私が,自分のしていることに対する疑問を整理し,何を自戒するべきか明らかにする道筋を記したものです.客観的な言葉で書いていますが,出てくる意見はほとんど自省から得られたものです.それをあえて公表するのは,現代仏教の存続に関わる一問題として,仏教に関心のある方々に読んでいただきたいと思ったからです.ご意見ご感想をお待ちしております.
近年,お葬式や法事で,施主が僧侶に「お布施はおいくらくらいがよろしいでしょうか?」と聞く場合が多くなっています.その質問を見越して僧侶の方から先に「○○円くらいでいかがでしょう」と提示したり,さらには「枕経○○円,通夜○○円,葬儀○○円・・・」というように明細書を発行したりすることもあるようです.この間を葬儀屋さんが仲介する場合もあります.こういった風潮をどう見るべきでしょうか?
僧侶に失礼にならない限りできるだけ安くという経済性がこういった金額設定の背景にあると考えられます.おそらく一番多いのはこのような考え方ではないでしょうか.
「日ごろ寺に対して何もしていないのに,こちらの気持ちを示すにはお金しかない.その額が不十分ではお坊さんに失礼だ」
「葬儀ではお布施以外にもお金がかかるし,家計的にも苦しくなるのでお布施を出しすぎたくない.ほどよい金額が提示された方が安心できる」
僧侶の側が金額を提示するのも施主がこのように考えていることを見取ってのことであろうと思います.
さらに僧侶の側には何も言わないとお布施が激安になってしまうかもしれないという懸念もありえます.法具や衣,寺の維持など何かとお金がかかるわけですが,ひとつひとつの葬式・法事では原価というものがほとんどありません.「坊主まるもうけ」と揶揄されるのはこの点にあります.だから葬式・法事で大したことをしていないと思われればお布施が下がってしまう心配もあるわけです.
以上のような考え方に対して,僧侶ならずともこのような反対意見があるだろうと思います.
「信仰の問題であるから,何でもお金に換算してしまうのはよくない.僧侶はサービス業ではないから,代価という考え方は成り立たない」
僧侶の仕事に値段はつけられない.寺院は商店ではないので経済性や利潤を求めてはいけない.基本的にお布施は「(経済的にではなく気持ちとして)出すことができるだけ」ということでいくべきである.施主にもそのことをよく理解してもらった上でお布施を出してもらうようにしていくことが大切,という考え方です.これは,仏教におけるお布施本来の意味にもかなっています.
「与えること,他に与えること,ほどこし,喜捨,恵むこと,金や品物を与えることばかりでなく,親切な行いも布施である.信者が僧に財物を施すことを財施,僧が信者のために法を説くことを法施という.通俗的には,いつくしみ.(仏教語大辞典)」
「原語トリ・マンダラ・パリシュッディ(tri-man.d.ara-paris'uddhi).他人に対する奉仕の心がまえ.物を与え,奉仕する主体(能施)と,奉仕を受ける客体(所施)と,奉仕の手段となる物(施物)と,この三者は空で清らかであらねばならない,滞りがあってはならない.もしも「おれがあの人にこのことをしてやったのだ」という思いがあるならば,それは清らかな慈悲心からでたものではないという.(同)」
現代人の心に深く染み付いている経済性という観念を捨てて,僧侶は無償でお経を読み,施主は無償で金品を喜捨する.お経を読んでお布施を請求したり,お布施をして立派な葬式を頼んだりしてはいけないということです.この考え方は仏教が成立し存続する上でとても大切なものなので,仏教の基本として広く知っておいて頂きたいと思います.
それでは見返りを求めてはいけないとするとお布施をする動機は何かということになります.常識がある人ならば,無意味なものにお金を使って破産することはないでしょう.社会生活を営んでいくためには何にお金や労力を使い,何に使わないかを判断していかなければならないのです.
これについて仏教では,2つの答えが用意されています.ひとつは慈悲心,すなわち困っている人への同情と親切です.悲しみにくれる遺族の心がお経によって少しでも癒されるならば進んでお経を読み,貧しい(今はあまりそうでない場合も)僧侶の生活がかわいそうだと思えばお米なりお金なりを分けてあげるということです.もうひとつはいわゆる功徳というものです.「情けは人のためならず」というように,よい行いをすれば最終的に自分自身が救われる(めぐりめぐって自分が得をする,または宗教的には涅槃の境地に近づく・極楽浄土に行けるなど)ということです.
(この功徳を求めるということが見返りを求めることになる可能性がありますが,ここでは立ち入りません.)
このような仏教の合理的でありがたい教えを理想として,実践し広く伝えていくことが僧侶の役目になりますし,おそらく僧侶という僧侶はすべてこのことを理解しているはずです.それではなぜ,先に見たようなお布施の金額設定の問題が出てくるのでしょうか.そこには以下のような理由があるようです.
現実的な問題はお布施をするかしないかということではなく,お布施をいくらにしたらよいかというところにあり,この問題は檀信徒の頭を悩ませるものです.特に葬儀などでは遺族は近親者の逝去による混乱があり,この問題を考える余裕すらない場合がほとんどです.そこでその問題から解放するという親切心から金額提示がなされることがあります.実際,額に関係なく「言ってもらった方がありがたい」という意見もあります.
確かにこのような考え方自体はお布施の意味から外れていませんが,そのような契約的な取り決めが続いていけば,以下に述べるような寺院の事情とあいまって,檀信徒と寺院の関係を信頼がなくお金だけのドライな関係にしてしまう恐れがあることは否めません.
寺院という大きな建物は年毎に老朽化し,雨漏りしたり戸のたてつけが悪くなったりしていきます.また僧侶もかすみを食べて生きているわけではありません.さらに明治時代以降に僧侶の妻帯が認められ世襲が進むと,後継者育成の養育費などの負担も生じてきました.そこで,僧侶を含めて寺院が成立するために必要な額を檀信徒で分担することになります.年間通じて必要な額が,お布施の総額を上回って赤字にならないようにお布施は設定されています.
明細書が発行されるのはこうやって設定された額を皆が納得できるかたちで提示するという意図があると考えられますが,それ以外の意味はありえません.
清貧が望ましいとはいえ,あまりに貧しくては現代において僧侶になる人がいなくなってしまいます.(僧侶はお金持ちだと思う人がいるかもしれませんが,それはごく一部であり,多くは平均をかなり下回る収入でやりくりしている場合がほとんどです.その結果,田舎の小さい寺院では深刻な後継者不足が起こっています.)僧侶とは本来全てを捨てて出家し,その日その日を乞食(こつじき)で暮らし,悟りを求めて何物にもとらわれず雲のように水のようにさまよう存在であった訳ですが,寺院の住職となればそうはいきません.寺院という建物,檀信徒ひいては地域社会に対する義務や責任が生じてきます.一方檀信徒はみんなで力を合わせて寺院と住職を支えていくことになります.もちろんこの考え方は寺檀制度という仕組みと檀信徒の信仰なしには成り立ちませんが,少なくとも近現代の仏教の性格では必然的な結果であるといえます.
お布施は高いほうがありがたみが増す」というのは言語道断な考え方だと思いますが,経済性にとらわれた人々にお金では得ることのできないありがたい仏教の教えを伝え,寺院に意識を向けさせる方便ということで正当化されることがあります.しかしこれは二重の過ちを犯しています.それは施主をお金で仏法が買えるという逆の考え方にしばりつけてしまうということと,僧侶自身が拝金主義を促進してしまうということです.
お布施は安いほうがありがたい」「タダならもっとありがたい」というのは,お寺の敷居を低くし,より多くの人に仏教に親しんでもらおうという意図があると考えられますが,一歩間違えると上と同じ過ちを犯すことになります.金額の安さにこだわれば結局「これだけ安くしてやってるんだから,それ相応の恩は感じてもらいたい(いざというときはたくさんお布施を出してほしい)」という見返りを求める心が出てくるからです.
信仰の深さはお布施の金額とは本質的に無関係です.お布施をたくさん出しているからといって信仰が深いということにはなりませんし,出さないからといって信仰がないことにもなりません.そして僧侶の役割はお布施の金額を上げさせるよう努力することではなくて,信仰を深めるようにすることにあることを常に銘記しなければなりません.
最近日本の仏教界では「戒名料」が誤解を招く表現だとして使わない方向で進められています.戒名は釈尊の弟子になったことを示す名前であるから,その意思がある者には無条件に授与するべきだということになっています.つまり無料ということで,これに対してお布施を出すか出さないかはまったく自由です.それに限らず,すべての葬式・法事においてもお布施を出すか出さないかは全くの自由だと言えます.しかし僧侶は僧侶である以上,お経を読むのは義務です.これが施主と僧侶の基本的な関係なのではないでしょうか.
以上からお布施の金額提示について導かれる結論は,まずお布施の仏教における基本的な意味を十分にわかってもらった上でお布施を出すようにしてもらうということが肝心で,現実的な事情があるにしても金額の多少にこだわって基本を見失わないようにするということになるかと思います.
お布施はおいくらくらいがよろしいでしょうか?」と聞かれた場合,反対に「おいくらくらいをお考えですか?」と聞くそうです.するとたいていは「和尚様に聞いてから皆で相談しようと考えております」という返事.「私の意見はないですから,皆で相談してください」というと,親族でいろいろ相談して,「これくらいでいかがでしょうか」と提示してくるので,「それで結構です」と答えます.なぜ提示しないのか聞かれると,「こちらから提示すれば,きっとみなさんは『あの坊さんに○○円取られた』とお思いになるでしょう」というそうです.この場合,親族はいったん困るわけですが,相談の中で僧侶の心中についていろいろ考察し,お布施は出せばいいというものではないことを学ぶことになります.これだけのやり取りをするには相当な精神力と金額にこだわらないことが要求されますが,見本にしたいものです.
30年後くらいの近い将来,仏教が葬式行事に関与する必要がなくなってくると,信仰回復のための努力を行って生き残る寺院と,それができずに檀信徒を失って潰れる寺院の二極分化が始まると私は考えています.そのとき,お布施の金額提示は信仰回復を阻害することはあっても益することはないと思います.現実的な事情があるにせよ,お布施の金額提示はこれまで長年かかって培ってきた檀信徒の信仰の上でかろうじて成り立っています.信仰回復のための努力にはさまざまな形がありえると思いますが,お金に拘泥して信仰が消費されてしまわないよう注意しながら,現実の荒波の中でも仏教の原点を忘れないようにしていきたいものです.
より実際的には,金額を提示してもしなくても,葬式や法事を仏法発現の場として惰性でなく誠心誠意務めること,ひいてはできる限り自分の人生を一挙一動誠心誠意生きることが不可欠だと私は考えます.いくら立派なことを話しても,それを実践しなければ,誰もついてこないものです.
お布施というのは人からお金をとることにちがいない.みんな人からお金をとって生きている.これは悪業である.私は,そのみんなからお布施をとっている.それはみんなの悪業も引き受けているのだ.だから,当然私は地獄に落ちる.そういうものだ」

【 22】引用元  お布施の金額提示
URL: http://www.tgiw.info/tera/objection/daana.html


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